20110318

支部長ブログVOL.64

月毎にランダムに東京・千葉・神奈川・静岡・新潟支部長が記事を書いて投稿していきます。

日本支部代表 池村




3.11
14:46 東日本大震災

何かしなくてはという気持ちを形に
被災地支援プロジェクトを開始しました。
詳しくは上のリンク先をご覧ください。

まずは全国の支部、会員にこのTシャツを着てもらい、メッセージの共有と、この日を決して忘れてはいけないという事が大事なのではないか。



CCJカポエイラ協会
(コハダン・ジ・コンタス日本支部)では、既に募金、被災情報提供、安否確認と会員一丸となって動いています。
このポルトガル語のメッセージ『Força do Japão』~日本のチカラ~を掲げ、会員一丸となって中・長期的な義援が出来ないかと考えた結果、応援メッセージの入ったTシャツを制作し、全国の会員皆でそのメッセージを共有して今まで以上に日本人の『絆』を高めていければと考えました。
この活動は小さなものですが、何かしなくては!という気持ちを形にし、それを残していく事が今生きている人間にしかできない事ではないのかと思います。
このチャリティTシャツの売り上げは全て被災地への義援金として募金させて頂きます。

代表 池村

20110207

支部長ブログVol.63

月毎にランダムに東京・千葉・神奈川・静岡・新潟支部長が記事を書いて投稿していきます。

日本支部代表 池村

個人のブログにも少し書きましたが、ブラジルの国土面積は非常に強大です。
お隣中国の国土面積より若干小さい程度で、日本の22倍あります。ちなみに中国は25倍です。
画像で見ると


一般的に皆さんがリオデジャネイロやサンパウロ等と言っていますが、リオデジャネイロ州リオデジャネイロ市が中心で、サンパウロも州であり、サンパウロ市が中心です。
ちなみに首都はブラジリアで、リオでもサンパウロでもありません。

リオデジャネイロ州の大きさは、43,909㎢で、九州42,190㎢と同じくらい。
サンパウロ州の大きさは、248,209㎢で、日本の本州231,216㎢と同じくらい。

この大きさは相当で、リオとサンパウロだけで北海道以外の日本と面積が同じくらいと言う事になります。
リオデジャネイロ州

サンパウロ州


国土面積、人工比は
日本   377,914㎢       人口1億2564万
ブラジル8,511,965㎢(日本の22倍)人口1億9373万
中国  9,596,961㎢(日本の25倍)人口12億4374万

並べてみると規模の違いが分かります。

東京都の人口が1300万人ほどで、リオデジャネイロ州の人口が1540万人
サンパウロ州の人口が4千万人ほどで、これは関東地方4243万人と同じくらいです。

サンパウロ州の大きさが凄いです。本州と同じくらいなのに人口が関東地方程。
日本は本当に小さいです。都会の住宅事情を見れば分かりますが、人口密度が都心は高すぎます。電車に関しては、ラッシュ時の乗車率200%等と簡単に言いますが、意味が分かりません。
飛行機にたとえたら椅子に二人座っているという事ですかね。もっときつそうな気がしますが。

そんなストレス社会で、都心では100人に一人はうつ病等と言われるほど危険な状態になっているそうです。

また、医療費削減で精神病院から無理やり退院させられた患者さんが、市町村の施設に行かされ、薬が今までと同じように処方されない状況だそうです。

発展とは何かを犠牲にして成り立っている。それが今は弱い人間の犠牲の上に平気で成り立っているように思います。

カポエイラをやっていますと、今の日本では忘れられてしまった物がたくさんあるように感じます。何がという具体的な物ではないのですが、お互いのコミュニケーションの取り方や、世界共通のルール。

どこどこメーカーのこれはこっちのメーカーでは使えないとか、システムが違うからこの国では使えないとか、携帯電話等はそのような感じでしょうか。

カポエイラはどこでも使っている楽器、歌、ゲームの仕方はほぼ同じ。日本で習ってもヨーロッパで習ってもブラジルと同じ。なのでいつでも交流できる。言葉が分からなくてもカポエイラが分かればお互いに会話ができる。これは今の世の中には必要なのではないかと思っている。

視野を大きくするという事は、身近なところをしっかりするところからはじまります。ご近所で挨拶も出来ない人が、世界で挨拶しても心を感じません。いつもお庭が綺麗ですね等言えれば、自然と視野は広がります。現代のデジタル依存は、このような大事な事がかけているからコミュニケーションを取ることの基本が抜け落ちてしまっているだけなのではないかと思います。意見できない若者が増えた。叱るとすぐ仕事をやめてしまう。それは心が通じ合っていないだけのような気がします。

北海道はでっかいですが、ブラジルは本当にでっかいです。

※画像:ウィキペディアより

代表池村

20110121

支部長ブログVol.62

月毎にランダムに東京・千葉・神奈川・静岡・新潟支部長が記事を書いて投稿していきます。

日本支部代表 池村

だいぶ遅れてしまいましたが、明けましておめでとうございます。
本年度もこちらのブログ『BAR da GLORIA』、そしてCapoeiraともどもよろしくお願いいたします。

さて、2011年度最初の更新となりましたので、何を書こうかと色々悩んだのですが、考えても仕様が無いという事で、思った事を津々浦々と。

このブログのタイトル『BAR da GLORIA』ですが、読み方はバールダグロリアです。
意味は栄光のバーと言う感じですね。バーはお酒を飲むバーの事で間違いないですが、ブラジルでは昼はランチや軽食、ちょっとしたお菓子やパンやケーキ等を扱っているところもあります。

夜は近所の皆が集まって、夜な夜なお酒を飲みながら話に花を咲かせる場所になります。決して都会の夜景を楽しみながら、素敵な女性とカクテルでもひっかけながら酔いしれると言うイメージではありません。
日本だと大衆酒場のような場所でしょうか。カラオケが置いてあるところもあります。しかしブラジルは外に置いてあります。これが面白い。

なぜこの名前かと言いますと、私達の団体本部の館長宅の近所にこの『BAR da GLORIA』がありました。
ありましたというのは、現在は閉店してしまい、メインストリートの近くで違う商売を始めたようで、少しさみしい気がします。ここは、日本人も住み込み稽古の時に必ず行く場所でした。夏場は通りに面した壁に50cmくらいはあろうかというシャワーがいつでも使えました。館長宅のシャワーがでなくなった時などに使わせてもらう時もあったようです。

GLORIAさんとのツーショット 2004年の写真


本部リオデジャネイロの館長宅は、地域に密着した生活を送っています。ですので、言葉は悪いですが近所の悪ガキがよくカポエイラを習いに来ては、館長に説教されて更生させられながら大きくなっていきます。

小さい頃習っていて、長い事離れていて今では立派なギャングに成長していたとしても、カポエイラ道場に顔を出せばあの頃の顔に戻ります。そしてやはり館長はいつものように説教をします。何でしょうか、怒られに来ているのか、カポエイラをしに来ているのか、その辺は私達には分かりませんが、どんな子にも親身になって接しています。一見怖そうですが、親身になれるからこそ本気で説教できる。そしてどんな問題にも立ち向かうからこそ、『怖そうだけれども本当は優しい』という事なのでしょう。

人が成長する時は、失敗から学ぶ訳で、失敗を恐れては前へ進めません。
ただ、物の善悪はわきまえなくてはいけないと思います。それを前提として、とにかく問題でも何でも逃げずに立ち向かい、うまく行かない時も、行く時もあると思います。過ぎてみればたいがいそんな事もあったな~と言う感じです。

ブラジルでは悪に染まってしまう事が多いようで、そんな地域で育った館長は私達とは次元が違いますが、日本人は日本人としてのまじめさや謙虚さがあります。どうして、なんで等と考える前に自分達が謙虚に行動すれば、誰でも信用を得られます。そして仲間が増えます。気負う必要はありません。

ブラジルはブラジル。日本は日本。そしてカポエイラはブラジルの文化ですが、日本人としてしっかり受け止め、本国に負けない位の実力、そして団体を作っていきたいと思います。

このような決意で2011年を過ごしていきたいと思います。

代表池村


しかし、怒ると本当に怖いです。

20101231

支部長ブログ Vol.61

月毎にランダムに東京・千葉・神奈川・静岡・新潟支部長が記事を書いて投稿していきます。

日本支部代表 池村

今年も残すところあとわずか。
22:30~カポエイラ目黒道場にて年越しホーダを行います。

さて、本日最後のレッスンはBerimbau製作会でした。目黒道場屋上にて、11名(うち小学生1名)で行いました。


材料はSabiaという品種のブラジル産の木と、ブラジル産のヒョウタン


道具はのこぎりやドリル、キリやとんかち、ヤスリにカッター等


まずは木の皮をきれいに剥きます。この時100均等の野菜の皮むきで充分剥けますが、木の品種によっては厳しいかもしれません。Sabiaに関してはこれで充分です。



次に弦をひっかける部分をのこぎり等で切り出します。


そしてきれいにヤスリがけ。


削りかすで汚れないように完全防備の人もいます。大掃除ですね。


ある程度できたらヒョウタンの切り抜き。
曲面にのこぎりが入りにくいので、ドリルなどで切り抜く部分を抜いておくと、切り易くなります。



切り抜いた部分の仕上げ

以降の作業写真を撮り忘れました。悪しからず。

次に木にニスを塗ったり焦がし加工をしたり。
ニスが渇くまでにヒョウタンに紐を通し、弦を作ります。
ニスが渇いたら弦を張り、ヒョウタンと合わせてみます。音を出してみて、ヒョウタンの紐の長さや開口部の大きさの微調整をしたりすれば出来上がり。

ゆっくりやって3時間くらいでここまで出来ると思います。



初めての作品としては上出来ではないでしょうか。
運よく凄い組み合わせのBerimbauが出来て、良い音を出している物もありました。こればかりは合わせてみないと分かりませんので、なんとも言えません。


最後は皆で記念撮影

皆さんお疲れ様でした。

良いお年を!

2010年12月31日
代表 池村

20101220

支部長ブログ Vol.60

月毎にランダムに東京・千葉・神奈川・静岡・新潟支部長が記事を書いて投稿していきます。

目黒道場主 渡部

História

今日の昼ごはんをマッキーニョと一緒に食べていたのだが、その時の会話で印象に残ったことがあったので、すぐにでもBAR da GLORIAに投稿しようと思って道場に戻った後すぐに書き始めた。

マッキーニョがいっぱい話をしてくれて(もちろんポルトガル語で)、なかなか理解できなかったこともあったが、その途中で「今はインターネットを開けばいくらでもカポエイラの歴史を学ぶことができるが、昔はそうじゃなかった。じゃあ、どうする?色んなホーダに行くしかない。それらのホーダで出会ったメストレたちからジョゴだけでなく歴史など色々なことを学ぶ。その積み重ねが自分の歴史を作っていく」のようなことを言っていた。(僕の中での理解です)。

カポエイラは400年以上の歴史の中で色々形を変え今に至る。
その歴史を正確に語れる人など誰もいないであろう。
カポエイラを今日まで伝えてきた全ての人にその人の学んできた歴史があり、それぞれに個性あふれる歴史ができ、その人自身も受け継いだ人の歴史の一部となっていく。


僕はいつでも生徒にホーダに行くことを勧めている。
しつこいほどこのブログにも書いているが、ホーダこそがカポエイラなのである。
レッスンはホーダを豊かにするための方法を学ぶ場にすぎない。
カポエイラのホーダで使われている技を練習して習得することだけではカポエイラをしているとは言えないと個人的に思っている。

僕自身、自分で開いたホーダ、ブラジル本部のホーダ、ブラジルのストリート・ホーダ、コハダン日本支部のホーダ、他団体のオープン・ホーダなど全てを含め今年だけで30回以上のホーダに参加してきた。

とにかくカポエイラが好きで好きで、時間さえあれば、もしくは時間を無理やり作ってでもホーダに行っている。
そのホーダに行っていることの意味が、今日、雷が自分に落ちたかのようにマッキーニョの言葉によって知らされた。
インターネットや本で学んだカポエイラの歴史も大事であるが、自分自身の行動が学ぶ歴史を豊かにし、自分の歴史も豊かにしてくれていたのである。
そして、自分もすでに誰かのカポエイラの歴史の中に組み込まれているのであろう。


トリボ・ダ・ルアのプロフェッソール・マンデラが言っていた。
「バイーアにいたら毎日誰かがホーダに行こうって誘ってくる。『いや、今日は…』って言ってもしつこく誘ってくる。『何で行かないの?今日のホーダやばいよっ!』って。だから私毎日ホーダに行くよ。」

今度の土曜日クリスマスだけど15:30から道場でホーダあるよ。
道場のホーダまじでやばいよっ!
大晦日の夜10:30からも道場で年越しホーダあるよ。
年越しホーダも毎年やばいよっ!

20101214

支部長ブログVol.59

月毎にランダムに東京・千葉・神奈川・静岡・新潟支部長が記事を書いて投稿していきます。

日本支部代表池村

師走の候
寒さがひとしお身に染みる頃となりました。
今回は普段まじめ過ぎる団体ブログから少し脱線してみます。


さて、今年も残すところ2週間と少し。団体では忘年会があちこちで行われています。皆楽しい時間を過ごしているのですが、カポエイラの忘年会は少し特殊なのかもしれません。それは、乳幼児から大人まで同じ時間を過ごすと言う事。そして、本当に楽しみに来ていると言う事。

そんな会員さんには一年の感謝をこめてたくさんの景品を毎年用意します。一般的に考えると、え?こんなの貰って嬉しいんですか?と言う物ばかり。 (写真は全て昨年の忘年会より)


普段とは違った雰囲気で会場を盛り上げてくれる会員さん(Monitor Cavalo)


100名近い大人数でワイワイガヤガヤ時間を忘れ、ゲームにプレゼント交換にくじ引きに、楽しい時間はあっという間に過ぎていきます。今年は新宿で御座敷貸し切りですのでどうなる事やら。

支部長たちは率先して盛り上げます。

千葉支部代表中村と武琉君


神奈川支部代表中嶋


カポエイラ目黒道場主渡部


成田在住東京所属教師小倉


東京所属指導員いぶし銀片山


変顔選手権で大活躍の秋田サークル代表小原

こういった会が開けるのも、普段からカポエイラを大事にしてくれている会員さんと、支部長達の努力の賜物であります。これからもより良い団体でいれるよう、代表含め、努力していきたい次第であります。感謝

書いていてワクワクしてきました。これから景品の準備をしてみます。

代表池村

20101130

ブラジルレポート Vol.21

先月渡航した神奈川支部代表によるブラジルレポートです。


神奈川支部代表 中嶋


『二度と訪れない時間』


今回で6度目のブラジル本部滞在でしたが、本部のバチザド時期に渡航したのは

初めてでした。

バチザドでは、リオ・デ・ジャネイロのカポエイラを古くから支えてこられた

Mestre達とお会いし、ジョゴする事で大変貴重な経験を積むことができました。




バチザド打ち上げは、別荘を貸し切って盛大に行われました。

広大なスペースで、みな思い思いに打ち上げを楽しんでいた時、

館長Mestre Decio が私に声をかけてくれました。

『楽しんでるか?』

と聞かれ、私は、はい、と答えました。

『これから決して二度と起きる事のない事が起きる、

二度と訪れることのない時間だ』

『どうする?』

そう聞かれ迷わず、行きます、と答えました。

私はMestre Decio と共にその場を離れました。




行くと、バチザドに出席して下さったリオを代表するMestre 二人がビリンバウ

を握り、これからまさに奏でようとするところでした。

私を含め、数人のカポエイリスタで二つの小さなホーダが作られ、

Mestre達が演奏を始めました。

二本のビリンバウ、二つのホーダ。

二本のビリンバウは同じリズムを刻み、二つのホーダは別々の歌を唄います。

カポエイリスタ達が、それぞれのホーダに、歌によってエネルギーを注ぎます。

エネルギーのこもった二つのホーダは、互いのエネルギーを邪魔する事なく、

心地よく共存し、不思議な空間が広がります。

まるでそこだけが、普段の生活から切り取られた、別の空間のような、

そんな感覚に陥りました。

それは以前にも感じた事のある感覚でした。




数年前、リオ本部の道場でのホーダで。

館長がジョゴをしているのを、見ていた時。

館長が蹴りを放った瞬間、空間がまるで切られたように歪んで見えました。

初めての体験に驚いたと同時に、そんな世界があることを知り、

嬉しくなって微笑みました。




世の中には、理屈では説明できない事が、たくさんあります。

そんな世界に触れる事ができた、本当に幸せな経験でした。



神奈川支部代表 中嶋

20101124

ブラジルレポート Vol.20

先月渡伯したメンバーによるブラジルレポートです。


こんにちは、東京支部のRatel(ハテゥ、英語ではラーテル)と申します。

この度、幸運なことにブラジル稽古の機会を頂きました。
そのレポートを自身が感じたことを中心に書きたいと思います。

今回の旅は「日々是capoeira」と言う言葉にまとめられます。
こう感じたのには理由があり、それは日常生活において「呼吸・間」あるいは「気」と呼ばれるものを強く感じたからです。

さて、ちょっと話をそれてしまいますが皆様は「気」と聞くと、少し怪しいかも……と思うかも知れません。
しかしながら皆様は、その大小は在りますが、気を感じています。
例えば、雰囲気……今は「空気を読む」などで言い換えられているかもしれませんが、その場の雰囲気を読まなければ、発言して良い状況なのか沈黙するべき状況なのか分からず、素っ頓狂な事を言ってしまいます。
例えば、気配……気配を感じなければ、良い人間なのか悪い人間なのか判断も付かず、人間関係の構築に苦労します。
この2例を見るだけでも人は気を感じています。
ただそれは小説や漫画の様に不確かなものではなく、人が放つ微細な反応・周囲の変化など、人が生まれ成長していく中で培われる経験と勘にも近いものです。
ちなみに武術で使われる「練る気」と今回の「読む気」は少し趣が違います。
それはまた機会があれば説明いたします。

閑話休題

capoeiraに限りませんがこの「気」が日常生活を送り、そして武道をするときの重要なポイントです。

今回ブラジルに行かせて頂けると言うことで、多少ポルトガル語の勉強をしました。
しかしながら言語は一朝一夕に身に付くものではなく、現地の方と対話をする時は相手の気配を探る必要がありました。
何故なら「この方は重要な話をしているのか、他愛も無い話をしているのか?」「本気なのか、冗談なのか?」と言う簡単な判断でさえ、言葉の分からない自分にとっては難しいからです。
さらに稽古では、先生方が何処に意識をおいて練習しているのか?足先か?腰の捻転か?それ以前にこの稽古でこの練習をする意味は?……等々、日本なら言葉で言って貰い理解することも全て先輩や他の方を見て、どこに気を入れて練習しているかと言うことを読み取らなくてはなりません。

つまり稽古場のみならず、朝起きてから夜寝るまで全ての行動に対して気を配らなくてはならないのです。
そしてその上手い下手は、武道の虚実に影響し、それはcapoeiraの上手い下手にも関係します。

この「朝から夜まで気を配る」と言うのが、本当に良い稽古でした!
たった2週間の稽古では肉体的な強化は難しいです……精神的な鍛錬も少し期間が短過ぎます。
しかしながら、感覚的な発見でしたら今この瞬間でも強くなれます!
日常の些細な事にも気を配ることで、表面には現れませんが、capoeiraの根が深く強くなった様に感じます。

ブラジルに渡って最初の1週間は相手の気を探ることに一杯で、自分自身のcapoeiraに気が入っていませんでした。
しかしながら最後の方になると少しずつ気の分配の仕方が上手くなり、「彼我の意識の差異」……つまり相手はどの部位に気を入れているのか、そしてそれは自身の虚なのか実なのか?と言う判断が付くようになりました。
さらに、もし気を入れなければ、蹴りをしてもそれは相手を倒せません。しかしもし強い気が入っていれば、当てなくても相手は倒されたと自覚できます。

だからこそ、意思や気・呼吸が大切なのです。
そしてそれはあまり難しい事ではなく、重要なのは、少し考えを改めるだけでも変わってくると言うことです。
先生の言葉をお借りすると、「お茶を入れる」「食卓の塩を取る」などもcapoeiraの一部です。
日常を疎かにする事はcapoeiraを、それ以上に自分自身を疎かにする事だと教えられました。
本当に良い勉強になりました!

今回も本当に皆様にお世話になりました。
先生方には全ての基礎を、
先輩方には日常生活を営む上での要点を、
友人には人との付き合い方を、
自然には生命を、
そしてMestre Decio、カントーラさんには生きる道を教えて頂きました!

また、本部道場の方々にも本当に良くしてもらいました。
最後のホーダでのジョゴは、涙腺が弱くなり大変でした。

本当に皆さん、本当に有難う御座いました!Muito obrigado!!





東京支部 Ratel

20101117

ブラジル渡航レポート19

先月渡伯したメンバーによるブラジルレポートです。

千葉支部 松森




皆様こんにちは。
千葉支部のChacalと申します。
先日、ブラジル渡航をして参りましたので、滞在中の出来事をレポートさせて頂きます。

滞在初日

夕方、リオデジャネイロの空港に到着。
空港には、カントーラさん、バギーニョさん、 が迎えに来ていてくれました。
空港から、1時間~2時間、車を走らせて、アカデミーアに到着。
メストレ、オウザーダ、ヒアン、ゴヤ、モレージョ、神戸のアンドリーニャ先生が出迎えてくれました。
メストレたちは、自宅のペンキ塗りをしていました。。

昼食を頂き、荷物整理や休憩をしていると、アカデミーアに子供達が集まり練習をしだす。

我々は、これから使う日用品を買出しに。

帰宅後、夜のレッスンに参加。
レッスン内容は、日本の基礎・応用クラスでやっている内容とさほど変わりませんでしたので、ブラジルのレッスンってことで気負うことなく出来たと思います。
最後にホーダを行って終了しました。


滞在2日目

本日は土曜日で、朝にレッスンがあるとのこと。

自分はメストレと一緒に、朝食の買出しにGUANABARA(スーパーマーケット)に。
初めてスーパーマーケットに行ったのですが、驚くことばかりでした。
野菜は台に山積みにされ、Kg単位で売られていて、ハムは大きな塊で売られており、肉は塩漬けにされたものが台に山積みされ、生肉は大きな塊で天井から吊り下げられていて、好きな部位を欲しい量を買って行く感じでした。
こっちでは一回の買い物で、一週間分位の物を買うそうで、皆大きいカートに山盛で買い物をしていました。





帰宅後、朝食をとっていると、ホーダが始まるとのことで急いでアカデミーアに行きホーダに参加。
レッスン終了後は、バチザドで行うマクレレ・サンバ・ジョンゴのメンバーが練習を。
マクレレの最後の決めがうまくいってないらしく、色々と試行錯誤してました。

夜は、メストレ達とワイン。
皆さんも、メストレが日本に来てワインをコーラで割っているのを見たことがあると思いますが、こちらでよく呑まれていたワインは、とても甘くブドウジューズ感覚でグイグイいけます。


滞在3日目

本日は日曜日。
自分らのために、メストレが朝からレッスンをしてくれました。
組み手が難しく理解できませんでした。
レッスン前は、マクレレ・サンバ・ジョンゴのメンバーが練習を。

この日はレッスンのみでホーダは無しでした。

夜はメストレのお兄さんがいる教会に。
自分は教会というものに行ったことがなく、勝手にイメージしていたのもとは全く異なり、神父さん?は、ズボンにYシャツで、劇?みたいなものが前のステージで行われており、歌って踊ったりしていました。
最後に神父さんにお祈りをして帰宅。
途中、電気が消え真っ暗になったのだが、演出か思っていたら停電だったらしい。
たいした騒ぎにもならず、進行していったので分かりませんでした。
こっちでは停電はよくあることのようです。


滞在4日目

本日は月曜日だが、大工さん日?で祝日でした。
いつも行っている、GUANABARAは休みで、その通りにある沢山のお店も大概が休みでしたので、いつもとは違う肉屋さんと八百屋さんで買い物。
八百屋さんでは、アボカドが砲丸玉位の大きさでびっくり。
マンゴーも大きかった。
林檎は日本のよりも小さかった。

昼は特に何も無かったので、自主練を。

夜は、メストレレッスン。
レッスン前は、いつも通りマクレレ・サンバ・ジョンゴのメンバーが練習。

この日は、メストレ バガルーミさんの息子のビット君の誕生日ホーダーがあった。
8歳になったそうです。





顔はかわいいのですが、バク転、マカコ、ホンダナ等を簡単にこなしてしう末恐ろしい8歳です。



滞在5日目

朝食を頂いて一息ついていると、マッキーニョさんがアカデミーアに。
バァリカナの木でビリンバウを製作していたので手伝う。

手順としては、
長さを調整した後、木の表皮を剥がし、やすりがけをする。
次に、アラーミを掛けるための箇所を削り細くする。
最後に、先端に厚い皮を釘で打ち込む。

という流れで6本ほど製作。
途中、道具を買いに道具屋さんに買出しに行ったりと、いい経験をさせてもらいました。

夜は上級者レッスン。
メストレ ミスチッソさん、メストレ ドゥンガさんが参加。
遅れて、コントラメストレ ショコラッチさんも参加していました。

レッスン内容は、
ミット打ちや、サンドバックへ蹴り込み。
チューブを巻いての蹴り込み。
二人組での組み手。
筋肉トレを行い、終盤はヘトヘトでした。
しかし今日行った内容は、とても楽だったらしく、いつもはこの倍ぐらいするそうです。


滞在6日目

朝食を頂き一息ついていると、メストレが帯を作っていたので手伝いつつ見学を。





ロープの束より1本ずつ切り出し、ほどけないよう切った箇所を結ぶ。
次に、先程作った帯をガスボンベがセットされている鍋にいれ、染料を入れて煮込み、染色された帯を日陰干しし完成。

侍先生、チグリ先生、ガファニョートさんは、コントラメストレと、メストレ帯を作っていました。
コントラメストレと、メストレ帯は上の方法ではできないので、筆に塗料をつけて塗っていました。





気が遠くなる作業をお疲れ様です。

夜は、マッキーニョさんの教えているクラスに参加。
日曜日に行った教会でレッスンをするとのことで徒歩で移動。





基本の蹴りを行いホーダを。
遅れてくる子の結構いて、最終的には小学生位の子が30人以上はいました。
カポエイラを初めたばかりで、アマーダ、プレザを蹴れなくても、ホンダナ、マカコが出来る子が沢山いて驚きました。
みんなカポエイラが大好きなようでした。


滞在7日目

朝食後、侍先生とチグリ先生は、引き続き帯の製作。
自分は、アカデミーアの掃き掃除を。
掃除の最中折れているビリンバウを発見し、掃除終了後バケッタを製作。
竹で製作したことはあったのですが、ビリーバの木からは初めてで、とても固く大変でした。
ナイフで削って、やすりをかけて完成。
午前中いっぱい掛かってしまいました。

昼食後、一息ついていると、渡部先生と角田さんが日本より到着。
片山さんと中嶋先生は、フェスタで使う肉や飲み物を買いに途中のスーパーに寄ったらしく、17時位に到着。

その後、ガファニョートさんと、モレージョとハテウと4人で、バチザドのチラシを貼りにbar(ちょっとした飲み屋)と学校にいきました。
barに行ったときは、昼過ぎだったのにもかかわらず満席で、テーブルはビールのビンがいっぱいでみんな盛り上がってました。

夜はメストレレッスンでホーダは無しでした。


滞在8日目

バチザド前日ということもあり、朝から沢山の人が出入りしていました。
自分は、メストレと中嶋先生と街に。

途中で、空港からアカデミーアに向かうパラナ支部の先生方と偶然会いました。

色々と用事を済ませて戻ると夕方に。

戻ると、ショコラッチさんが行うホーダがあるということなので向かいました。
現地に着くと、小学校でカポエイラを披露するショーみたいなものでした。
玄関前のロビーみたいな所で、15分~20分ホーダをして終了。

アカデミーアに戻ると、パラナ支部の先生達とアカデミーアの生徒がアクロバット技を披露していました。
動画等をとっておけば良かったと後悔してますが、とてもレベルが高く凄い技ばかりでした。


滞在9日目(Batizado)

バチザド当日。
朝から色々な人が準備やらで大忙し。

朝食をとって、メストレ宅の玄関前に座っていると、マムーチとカスカドゥーラさんが買出しに行くからついてこいと。
ハテウも合流し街に。

買出し後、マムーチと一足先にバチザド会場に。
マッキーニョさんと角田さんと合流し、帯を並べたりと会場設営を手伝う。
こっちでは、Instrutorより下の帯は、並べられている所から自分の帯を勝手に持っていき巻いていました。
その都度ぐちゃぐちゃにされては、並び直しての繰り返しでした。

間もなくしてバチザドが始まり、メストレ帯から順々に行われていき、途中にマクレレ、サンバ、ジョンゴが披露されていきました。
侍先生がメストレに、チグリ先生がコントラメストレに、中嶋先生が昇段、渡部先生がプロフェッソールに昇段されました。







途中に日本からのサプライズの映像が流れ、とても感動的でした。
20時位に無事終了し、荷物を置きにアカデミーアに戻り、ほどなくして車で打ち上げ会場に向かう。
会場は、宿泊施設もあり、プール、グラウンド(サッカーゴール付き)、芝生もありとても広い場所でした。

到着するとすでにみんなは、ご飯を食べたり、ビールを飲んだりと盛り上がっていました。
食事を頂きゆっくりしていると、グリフォーに呼ばれグラウンドでサッカー(4対4のミニゲーム)をすることに。






始まると続々と集り出し、交代交代行う。
1時間ほどサッカーをし、疲れたのでフェスの会場に戻る。

サッカー盤のゲームがあり、すごい人だかりになっていたので行ってみると、バギーニョさんがとてもうまくめちゃめちゃはしゃいでいました。(翌日メストレともやったのですが、メストレもとても上手かったです。)






ビリヤードには、バイヤーノさん達がやっていました。
ブラジルでは、ボールに数字が書かれておらず、2色のボールのみで、自分の決めた色を相手より早く全部落とした人の勝ちというルールでやっていました。

卓球には、すば抜けて上手い2人のプロフェッソールがいて、だれも2人には敵いませんでした。


滞在10日目(Festa2日目)

バチザド打ち上げ2日目。
本部の打ち上げは、1泊2日ということなので驚きです。

朝7時位に起きるとみんなプールに入っていた。
どうやらみんな夜通し騒いでいたようです。

サッカー、ビリヤード、卓球、プールとひとしきり楽しんでいると、Mestre MintirinhaさんとMestre Nacionalさんの歌のホーダが始まるり、続々とそのホーダに人が集まり出す。
そのホーダで、渡部先生がリード歌い、みんながCOROを返す時があり、偶然にもそのホーダの中に自分は、言葉ではいい表わせないグッとくるものがありました。
歌が始まると当然ジョゴが始まるわけで、パラナのバタータ先生とメストレのジョゴが始まり、片方のホーダでは歌を、もう片方のホーダではジョゴをというのが1時間以上は続いたと思います。
自分もそのホーダに参加でき、パラナの先生達や、本部のプロフェッソルやメストレ達とジョゴができ、本当にいい経験になりました。

しばらくするとメストレから止めがかかり、打ち上げ会場でゲーム等を。
言葉がわからないので何をやっているか分からなかったのですが、レディーガガの曲に合わせて即興でダンスを踊ったり、即興で物語を作ったりするゲームを行い、上手く行った人が景品を貰っていました。
最後に、日本の先生方のサプライズがあり、みんなからの色紙とタオルのプレゼントを贈呈し終了。

アカデミーアに戻ると食事も取らずに寝てしまいました。


滞在11日目(滞在最終日)

朝はゆっくりと起床。
朝食を頂き、ひょんなことから山へバリカナの木をとりに山へマッキーニョさんと、パラナのプロフェッソール ジェジュイズさんと3人行くとこに。
車で、リオデジャネイロの反対方向へ車で1時間位行った山へ。
周りは、山、山、山で、採掘場があったりとそうとう奥地に来たようです。
当然、すれ違う車はダンプのみです。

山にはマッキーニョさんが先頭で、道なんか無いためなたで木を切り、道を作って進んで行きます。







道も急勾配で、しかも地面もぬかるんでいて、ランニングシューズで行った自分は滑りっぱなしでした。
南米の山はマウンテンブーツをお勧めします。
進んでいる途中で、真っすぐでいい太さの木があれば切って行くという作業を3時間位行い、全部で30本位切って各々10本位担いで下山。
木も担いでいるせいで下山は一苦労しました。
みなさん足手まといですみませんでした。






無事下山後、アカデミーアに帰宅。

夜は、パラナ支部の先生と日本から来た我々のお別れホーダを行ってくれました。

ホーダ終了後、シュハスコをして頂きとても美味しく、シュハステイロのバギーニョさんありがとうございました。


帰国日

朝、メストレと丘の上のパン屋に買い出しに。
朝食を頂き、荷支度をしていると、グリフォー、カイマン、サヨナラ、マリレーニ、ビットがお別れを言いにわざわざ来てくれた。
14時ぐらいにアカデミーヤを出発し空港に。
メストレ、カントーラさん、ゴヤ、モレージョが見送りに来てくれて、18時55分にリオデジャネイロより日本に向かって出発。


以上が自分が滞在していたときの出来事を簡単にまとめてみました。

今回の渡伯で、暖かく迎えいれてくださった、メストレ、カントーラさん、ヒアン君、オウザーダさん、有難うございます。
お陰様で日本に帰りたいと思うことなく、とても楽しくそして充実した日を過ごせました。

色々と教えてくださった、メストレバガルーミさん、メストレミスチーソさん、メストレドゥンガさん、コントレメストレショコラッチさん、バギーニョさん、バイヤーノさん、パラナ支部のジェズイスさん、バタータさん、セボーラさん有難うございます。

そして言葉の分からない自分を、アミーゴと言ってくれた、マッキーニョさん、ガファニョートさん、モレージョ、ゴヤ、マムーチ、ビットありがとう。

道場に毎日来ていた、コンドー、マリレーニ、サヨナラ、カイマン、グリフォー、ブジューは、自分と同じVerdeAmareloとAmarelo ponta verdeの子が大半でしたので、彼らに負けないよう日本で稽古に励み、彼らの成長を楽しみにしたいと思います。

ブラジルでの自分行動を温かく見守ってくれた、侍先生、チグリ先生、中嶋先生、渡部先生、片山さん、中村愛子さん有難うご御座いました。

団体行動を背中で教えてくれた、アフーダ先生、神戸のアンドリーニャ先生有難う御座いました。
とても勉強になりました。

そいていつも一緒に居てくれた泉君有難う。
とても心強かったです。

最後に、この素晴らしい環境を作ってくださったMestre Decio館長と先生方に感謝し、レポートを終了させて頂きます。

長文になってしまったことをお許しください。











Ate ano que vem!!

20101115

ブラジル渡航レポート Vol.18

先月渡伯したメンバーによるブラジルレポートです。

東京支部目黒道場主 渡部

Sou Professor

10月23日(土)ついにブラジルでProfessorの帯を取得しました。
Professorの帯を取るまでは今までの記事で述べたように、色々考え行動してきました。
professorとは何なのか?Professorとして自分はふさわしいのか?

今年はItaguaí本部が30周年という事もあり、例年よりも多くのMestreやその生徒たちがBatizadoに訪れてくれました。
今まで日本で帯を取得してきたのとは全く違った環境でのProfessorへの昇段は生涯忘れないであろう経験となりました。
いつもと違う場所で初めて出会う多くのMestre、ContraMestre、Professorともジョゴをし、腰には新しい帯が巻かれました。



しかし、その時の心境はというと、以外に冷静でした。
全身にさぶいぼが出るほどの感動に包まれたわけでもなく、自分が何をやっていたか分からないほど舞い上がったわけでもなく、相手をしていただいた先生方のプレッシャーに押しつぶされそうになったわけでもなく、ただただ冷静に自分のできるジョゴをしました。
あまりにも普通にProfessor昇段のジョゴは終わりました。

今までこの日に向けて色々取り組んできたProfessor昇段が何でこんなにもあっさり終わってしまったのか?それは、ただ、今までも自分は感動的なジョゴを何度も何度も経験してきたからだと思います。
今まであまりにも順調に毎年昇段を重ねてきた結果、昇段への感動が薄れてしまったなんてことはもちろんありません。
確かに帯が新しく切り替わる日は特別です。
しかし、それ以外の日本での目黒道場でのOpen Rodaも、他団体のRodaやBatizadoに行ったことも全て特別でした。

2010年10月23日僕の腰にはAzu ponta verde(青先緑)の真新しいProfessorの帯が巻かれました。
しかし、いつから僕はProfessorになったのでしょうか?
新しい帯を巻いたその瞬間からなんでしょうか?
今では僕がProfessorに昇段することが決まった時からなんだと思っています。
2年前にMestre Décioが「Mão de OnçaはInstrutorの帯をしているが、俺はProfessorだと思っている」と言ってくれたことがありました。
ひょっとしたらその時からかもしれません。

何でこんな傲慢ともとられるような考えをするのか?
それは、僕がCapoeiristaだからです。
僕は一度も敗れることなく10人の相手をぶっ倒してProfessorの帯を取ったわけではありません。
ただ、認められただけです。
誰かがある人をprofessorとして認めたことを周りの人たちも同じように認め始めてくれた時にCapoeiristaはProfessorになるのだと思います。

人それぞれに考えは色々あると思います。
ただ、僕は今後の昇段について一つの目標を立てました。
サプライズな昇段は絶対にしない」と。

20101109

ブラジル渡航レポート Vol.17

先月渡伯した千葉支部代表によるブラジルレポートです。

千葉支部代表 中村


「私たちは家族だ。」
Mestre Decioからずっと与えられ続けていた言葉だが、ようやくその意味を身をもって感じられるようになってきた。
よちよち歩きだった女の子は大きく成長して立派な女性に、
お腹の中にいた男の子はいたずら盛りに、
あどけなかった少年は私の背をとうに追い抜き、
同年代の共に稽古に励んだ仲間は立派な父親に。
町も人も、毎年少しずつ変わっていくブラジル。
年に一度リオの実家に帰る。
私と、私の家族の無事を報告する。

まずはcapoeiraありき、本部道場での稽古ありきというのが渡伯にあたっての心構え。
だからそういう意味では「実家に帰る」という表現は見方によっては不謹慎に思えるかもしれない。
ただ、一年に一度という再開を何度も何度も繰り返すうちに、そういう感覚になっていったことは事実だ。
本当の親族以上に家族らしい会話もなされている。
まずはお互いの無事、家族の健康を確かめ合う。
神様に感謝する。
それからrodaの中で互いの成長を確かめ合う。
これがcordao de contasにおける家族の在り方なのだ。


今年は本部の30周年記念の昇段式。
本部のMestre Vaga-lumeとMestre Mestiçoが2段階目のMestreの帯に、
そしてContra mestre Dungaと日本支部代表のContra mestre SamuraiがMestreの帯に昇段。
特に我が師、Samurai先生の昇段に関しては、生涯忘れられないものとなるだろう。
mestreの昇段というものは別格である。
capoeiraに携わる者であれば容易に想像出来る事だが、その実は想像すら出来ない。
「なんだかよくわからなかったけど凄かった。」
そんな小学生のような感想が一番しっくりくる表現だ。
とにかくあの空間に居られただけで良かった。

Berimbauが奏でられ、歌が添えられ、ジョゴをする。
馴染みのrodaの絵であるはずが、少し違ってみえた。

扉があった。
既に開いている扉だ。
扉に向かって歩くsamurai先生。
リオデジャネイロの名だたるMestre達がその扉の向こうからsamurai先生を招き入れる。
その扉を越えて歩いていくsamurai先生。
そして扉だけが消え、ジョゴをしているsamurai先生だけが残る。

こんな不思議な映像と実際の映像が混じりあってみえた。
その扉が入り口なのか出口なのかは分からない。
ただ、こちらからは見えない世界に行ってしまわれたような気がした。

その不思議な映像の余韻にひたりながら、私は自身のContra mestreへの昇段を受けた。
一緒に昇段したChocolateとともに、たくさんのmestreとrodaの中で会話を交わす。
当然ながらそこにあの扉はない。
ただ「君もあそこに近づいているよ」という証しは腰に巻かれていた。



今回の渡伯は子連れだったこともあり、samurai先生をはじめ同行した皆さんに助けられながらの生活となった。
そして暖かく迎えいれてくださったDecio館長一家。
さらには渡伯中に代行を引き受けてくれた上級生達や、お祝いの気持ちが詰め込まれた映像を送ってくださった生徒の皆さん。
全てに感謝したい。
Muito obrigado!


8月末に膝の前十字靭帯を断裂し、今月中旬に再建手術を受ける。
これらを軽く乗りきる力はもう、日本の、ブラジルの仲間達から頂いた。
あとは真っ直ぐ挑むのみ。

あの扉は開いていた。
開いたままで、閉じることなく消えていった。
あれはきっと誰にでも開かれている扉なのだ。
そして、そこに辿り着くまで歩み続ければ良いだけなのだ。



千葉支部代表 中村

20101105

ブラジル渡航レポート Vol.16 その2

先月渡伯した日本支部代表によるブラジルレポートです。

日本支部代表 池村 Samurai

先日のその1の続きその2

10月23日

30aniversario
Associação de Capoeira
Cordão de Contas
16°Encontro Internacional de Capoeira

30周年記念
カポエイラ協会コハダン・ジ・コンタス
カポエイラ国際大会第16回昇段式

30周年記念と言う事もあり、昇段式にはたくさんのMestre達が駆けつけてくれました。
以下来て頂いたリオデジャネイロのMestre達のお名前(順不同)

Mestre Mintirinha
Mestre Nacional
Mestre Chita
Mestre Polaco
Mestre Malhado
Mestre Chiquinho
Mestre Michel
Mestre Crioulo
Mestre Capa
Mestre Pequeno Jo
Mestra Thiara
Contra Mestra Cleide
Contra Mestre Americo
Contra Mestre Queixudo


当協会所属
Mestre Decio
Mestre Vaga-lume
Mestre Mestiço
Contra Mestre Dunga
(Contra Mestre Samurai)

皆リオデジャネイロでずっとカポエイラを続けている方ばかりで、50年以上の経験を持つMestre達もいらっしゃいます。

こんなにたくさんのMestre達がお祝いに来て頂けたのも、Decio館長の努力や、たくさんの人との繋がりで実現したのだと思います。
11年ぶりにお会いしたMestre Michelは私の事も覚えていてくれました。他のMestre達も何度もお会いする中で、そういえばお前マッサージしてたよな?という他愛の無いお話や、80年代に日本に行った事あるぞと言うお話も伺えます。中にはヨーロッパや中国にも行かれたお話なども。
色々ありすぎてここでは書ききれません。お会いした皆さまに感謝です。

昇段式は15:00開始予定でしたが、たくさんのメストレが遠方から駆けつけてくれている関係もあり、少し押して16:00から

教会の牧師さんのお祈りと挨拶で始まり、先生方によるRoda

MestreメインのRodaで、気後れしているとチャンスを逃してしまいます。胸を借りる勢いでチャンスがあれば入ります。
その中で、Mestre MintirinhaとMestre Nacional Mestre MalhadoのJogoが印象的でした。


皆さんリオデジャネイロを代表する古いMestreで、Mestre Mentirinha とMestre MalhadoはMestre Paranaの生徒で同門だったとか。Vale tudo com jiujitsuの歌にも出てくるMestre Mintirinha、世界的な大会で良く目にするMestre National、同じRodaにいるだけで緊張します。

皆舞い上がって少しでもRodaが乱れると容赦なく激が飛びます。


そんな時間もあっという間に過ぎ、


子供達によるマクレレダンス


子供の昇段式の後、いよいよ大人の昇段式です。

まずMestre Vaga-lumeとMestre Mestiçoが2段階目のMestreの帯(黄色+白)に昇段です。
帯を締める前に、参加してくれた全てのMestreが帯を両手で握りしめ、回していきます。Mestre達の気が帯に込められて行き、最後にMestre Vaga-lumiにはMestre Decioが、Mestre MestiçoにはMestre Nacionalが帯を締めて行きます。ここに新たなレベルのMestreが誕生したのを皆で見届けるという雰囲気です。



~~補足です。~~
当団体ではMestreの帯は4段階あり、各10年置きに一つ上がります。
最初が白+緑のシマ模様
2段目が白+黄のシマ模様
3段目が白+青のシマ模様
4段目は最終段階の真っ白です。
Mestreになった年から30年後に真っ白になると言う事です。


このRodaはまさしくMestreのみしか入れません。そして2段階目以上の帯のMestreでないとこの帯は渡せません。まずはMestre Nacionalが直々にJogoを開始します。

さすがはMestreのみのRodaです。言葉では言い表せない光景が目の前で起こります。映像もありますが、映像は情報にすぎません。この空気を感じたものでないとこの事は語れないのだろうと本当に思います。新参者の私ごときがおこがましい気もしますが、責任を持って書かせて頂いています事をご理解下さい。

ほぼ全員のMestre達のJogoが終わり、今度は私の名前が呼ばれましたそこでサプライズの日本支部からのお祝いのメッセージがプロジェクターで流れ、大変驚きました。長い事カポエイラを続けて来ましたがこんな事は初めての経験でした。皆さんありがとうございます。少し笑えましたが。

ここでも同じように、来て頂いた全てのMestreに帯を握ってもらい、帯に気が入ります。私は日本人としてこの場に立っていると言う事を強く意識していました。そして、一人ひとりのメストレ達が帯を握るたびにこちらを見てくれると同時に、自然と会釈をしていました。感謝の気持ちと、これから宜しくお願いしますと言う気持ちを込めて。
最後は我が師であるMestre Decioに帯を締めてもらいます。


最初のJogoもMestre Decioと開始します。


続けてMestre Capa


Mestre Chita


Mestre Mestiço 写真がボケました。


Mestre Nacional


Mestra Thiara


Mestre Chiquinho


Mestre Crioulo


Mestre Michel


Mestre Vaga-lume


ここまで連続でMestre達とJogoをするのは初めてです。4年前Contre Mestreに昇段する時もそうでしたが、今回は特別でした。Mestre NacionalやMestre Criouloに、息が上がっているのが伝わり、握手する時に呼吸を整える時間をもらいました。そんな時はTa bom?という質問にうなずいたら再開です。

まだ映像をしっかり見ていませんが、何をしたかほとんど記憶にありません。終わってから、脇腹が痛いのはなぜだろうと思ったくらいで。とにかく全てのスイッチをオンにして挑んだ事は確かですが、非常に疲れたのは言うまでもありません。

そこからはContra Mestre、Professorと続いて行きます。
同行した千葉支部代表中村、神奈川支部代表中嶋、目黒道場主渡部がこの辺のレポートをしてくれると思いますので割合させて頂きます。

今年は見送りか、、、、と思っていたContra Mestre DungaのMestreへの昇段が最後の最後でサプライズであり、心から喜びました。


皆本当におめでとうございます。一年に一度のBatizadoは日本もブラジルも変わりません。昨年Mestreに昇段するぞとMestre Decioに言われた時は冗談かと思いましたが、Mestre Decioはその手の冗談は絶対に言いません。ですので覚悟を決めてうなづきました。
Dungaに関しても決まっていたようですが、家庭の事情があり、なかなか思うように稽古ができておらず、今年こういった形で最後に昇段すると言う事になったようです。本人はしっかり稽古して心も体も受け入れ態勢が出来てからという気持ちがあったのでしょう。ですがDecio館長が判断する事ですから、私達はただ覚悟を決めてうなずけば良いのです。その変わり、Mestreという帯には責任がありますので、ふざけた事は絶対に出来ません。

昇段式の後の打ち上げで、たくさんのメストレと話をしました。
一様に言われた事は、責任
カポエイラ家としてしっかりとカポエイラを伝えていくと言う事、そして普段からMestreとして立ち振る舞わなければいけません。

一番これは思った事も無かったと感じた事は、『道』について。
Mestreとは今までとは違う『道』を歩むのだと言われました。

一人前だと言う事で、Mestreが歩けばそこが『道』になると言う事なのかと個人的にはとらえました。

まだ新参者で何も分かりません。
ですが責任を持って歩ませていただきます。

本当に有難うございました。感謝

2010年11月6日
Mestre Samurai


参考までにメストレの年齢と本名
Mestre Mintirinha 1950- LUIZ AMÉRICO DA SILVA
Mestre Nacional 1947- ADALBERTO DE SOUZA ALVARENGA
Mestre Chita 1947- Itamar da Conceição Magalhães