20101130

ブラジルレポート Vol.21

先月渡航した神奈川支部代表によるブラジルレポートです。


神奈川支部代表 中嶋


『二度と訪れない時間』


今回で6度目のブラジル本部滞在でしたが、本部のバチザド時期に渡航したのは

初めてでした。

バチザドでは、リオ・デ・ジャネイロのカポエイラを古くから支えてこられた

Mestre達とお会いし、ジョゴする事で大変貴重な経験を積むことができました。




バチザド打ち上げは、別荘を貸し切って盛大に行われました。

広大なスペースで、みな思い思いに打ち上げを楽しんでいた時、

館長Mestre Decio が私に声をかけてくれました。

『楽しんでるか?』

と聞かれ、私は、はい、と答えました。

『これから決して二度と起きる事のない事が起きる、

二度と訪れることのない時間だ』

『どうする?』

そう聞かれ迷わず、行きます、と答えました。

私はMestre Decio と共にその場を離れました。




行くと、バチザドに出席して下さったリオを代表するMestre 二人がビリンバウ

を握り、これからまさに奏でようとするところでした。

私を含め、数人のカポエイリスタで二つの小さなホーダが作られ、

Mestre達が演奏を始めました。

二本のビリンバウ、二つのホーダ。

二本のビリンバウは同じリズムを刻み、二つのホーダは別々の歌を唄います。

カポエイリスタ達が、それぞれのホーダに、歌によってエネルギーを注ぎます。

エネルギーのこもった二つのホーダは、互いのエネルギーを邪魔する事なく、

心地よく共存し、不思議な空間が広がります。

まるでそこだけが、普段の生活から切り取られた、別の空間のような、

そんな感覚に陥りました。

それは以前にも感じた事のある感覚でした。




数年前、リオ本部の道場でのホーダで。

館長がジョゴをしているのを、見ていた時。

館長が蹴りを放った瞬間、空間がまるで切られたように歪んで見えました。

初めての体験に驚いたと同時に、そんな世界があることを知り、

嬉しくなって微笑みました。




世の中には、理屈では説明できない事が、たくさんあります。

そんな世界に触れる事ができた、本当に幸せな経験でした。



神奈川支部代表 中嶋

20101124

ブラジルレポート Vol.20

先月渡伯したメンバーによるブラジルレポートです。


こんにちは、東京支部のRatel(ハテゥ、英語ではラーテル)と申します。

この度、幸運なことにブラジル稽古の機会を頂きました。
そのレポートを自身が感じたことを中心に書きたいと思います。

今回の旅は「日々是capoeira」と言う言葉にまとめられます。
こう感じたのには理由があり、それは日常生活において「呼吸・間」あるいは「気」と呼ばれるものを強く感じたからです。

さて、ちょっと話をそれてしまいますが皆様は「気」と聞くと、少し怪しいかも……と思うかも知れません。
しかしながら皆様は、その大小は在りますが、気を感じています。
例えば、雰囲気……今は「空気を読む」などで言い換えられているかもしれませんが、その場の雰囲気を読まなければ、発言して良い状況なのか沈黙するべき状況なのか分からず、素っ頓狂な事を言ってしまいます。
例えば、気配……気配を感じなければ、良い人間なのか悪い人間なのか判断も付かず、人間関係の構築に苦労します。
この2例を見るだけでも人は気を感じています。
ただそれは小説や漫画の様に不確かなものではなく、人が放つ微細な反応・周囲の変化など、人が生まれ成長していく中で培われる経験と勘にも近いものです。
ちなみに武術で使われる「練る気」と今回の「読む気」は少し趣が違います。
それはまた機会があれば説明いたします。

閑話休題

capoeiraに限りませんがこの「気」が日常生活を送り、そして武道をするときの重要なポイントです。

今回ブラジルに行かせて頂けると言うことで、多少ポルトガル語の勉強をしました。
しかしながら言語は一朝一夕に身に付くものではなく、現地の方と対話をする時は相手の気配を探る必要がありました。
何故なら「この方は重要な話をしているのか、他愛も無い話をしているのか?」「本気なのか、冗談なのか?」と言う簡単な判断でさえ、言葉の分からない自分にとっては難しいからです。
さらに稽古では、先生方が何処に意識をおいて練習しているのか?足先か?腰の捻転か?それ以前にこの稽古でこの練習をする意味は?……等々、日本なら言葉で言って貰い理解することも全て先輩や他の方を見て、どこに気を入れて練習しているかと言うことを読み取らなくてはなりません。

つまり稽古場のみならず、朝起きてから夜寝るまで全ての行動に対して気を配らなくてはならないのです。
そしてその上手い下手は、武道の虚実に影響し、それはcapoeiraの上手い下手にも関係します。

この「朝から夜まで気を配る」と言うのが、本当に良い稽古でした!
たった2週間の稽古では肉体的な強化は難しいです……精神的な鍛錬も少し期間が短過ぎます。
しかしながら、感覚的な発見でしたら今この瞬間でも強くなれます!
日常の些細な事にも気を配ることで、表面には現れませんが、capoeiraの根が深く強くなった様に感じます。

ブラジルに渡って最初の1週間は相手の気を探ることに一杯で、自分自身のcapoeiraに気が入っていませんでした。
しかしながら最後の方になると少しずつ気の分配の仕方が上手くなり、「彼我の意識の差異」……つまり相手はどの部位に気を入れているのか、そしてそれは自身の虚なのか実なのか?と言う判断が付くようになりました。
さらに、もし気を入れなければ、蹴りをしてもそれは相手を倒せません。しかしもし強い気が入っていれば、当てなくても相手は倒されたと自覚できます。

だからこそ、意思や気・呼吸が大切なのです。
そしてそれはあまり難しい事ではなく、重要なのは、少し考えを改めるだけでも変わってくると言うことです。
先生の言葉をお借りすると、「お茶を入れる」「食卓の塩を取る」などもcapoeiraの一部です。
日常を疎かにする事はcapoeiraを、それ以上に自分自身を疎かにする事だと教えられました。
本当に良い勉強になりました!

今回も本当に皆様にお世話になりました。
先生方には全ての基礎を、
先輩方には日常生活を営む上での要点を、
友人には人との付き合い方を、
自然には生命を、
そしてMestre Decio、カントーラさんには生きる道を教えて頂きました!

また、本部道場の方々にも本当に良くしてもらいました。
最後のホーダでのジョゴは、涙腺が弱くなり大変でした。

本当に皆さん、本当に有難う御座いました!Muito obrigado!!





東京支部 Ratel

20101117

ブラジル渡航レポート19

先月渡伯したメンバーによるブラジルレポートです。

千葉支部 松森




皆様こんにちは。
千葉支部のChacalと申します。
先日、ブラジル渡航をして参りましたので、滞在中の出来事をレポートさせて頂きます。

滞在初日

夕方、リオデジャネイロの空港に到着。
空港には、カントーラさん、バギーニョさん、 が迎えに来ていてくれました。
空港から、1時間~2時間、車を走らせて、アカデミーアに到着。
メストレ、オウザーダ、ヒアン、ゴヤ、モレージョ、神戸のアンドリーニャ先生が出迎えてくれました。
メストレたちは、自宅のペンキ塗りをしていました。。

昼食を頂き、荷物整理や休憩をしていると、アカデミーアに子供達が集まり練習をしだす。

我々は、これから使う日用品を買出しに。

帰宅後、夜のレッスンに参加。
レッスン内容は、日本の基礎・応用クラスでやっている内容とさほど変わりませんでしたので、ブラジルのレッスンってことで気負うことなく出来たと思います。
最後にホーダを行って終了しました。


滞在2日目

本日は土曜日で、朝にレッスンがあるとのこと。

自分はメストレと一緒に、朝食の買出しにGUANABARA(スーパーマーケット)に。
初めてスーパーマーケットに行ったのですが、驚くことばかりでした。
野菜は台に山積みにされ、Kg単位で売られていて、ハムは大きな塊で売られており、肉は塩漬けにされたものが台に山積みされ、生肉は大きな塊で天井から吊り下げられていて、好きな部位を欲しい量を買って行く感じでした。
こっちでは一回の買い物で、一週間分位の物を買うそうで、皆大きいカートに山盛で買い物をしていました。





帰宅後、朝食をとっていると、ホーダが始まるとのことで急いでアカデミーアに行きホーダに参加。
レッスン終了後は、バチザドで行うマクレレ・サンバ・ジョンゴのメンバーが練習を。
マクレレの最後の決めがうまくいってないらしく、色々と試行錯誤してました。

夜は、メストレ達とワイン。
皆さんも、メストレが日本に来てワインをコーラで割っているのを見たことがあると思いますが、こちらでよく呑まれていたワインは、とても甘くブドウジューズ感覚でグイグイいけます。


滞在3日目

本日は日曜日。
自分らのために、メストレが朝からレッスンをしてくれました。
組み手が難しく理解できませんでした。
レッスン前は、マクレレ・サンバ・ジョンゴのメンバーが練習を。

この日はレッスンのみでホーダは無しでした。

夜はメストレのお兄さんがいる教会に。
自分は教会というものに行ったことがなく、勝手にイメージしていたのもとは全く異なり、神父さん?は、ズボンにYシャツで、劇?みたいなものが前のステージで行われており、歌って踊ったりしていました。
最後に神父さんにお祈りをして帰宅。
途中、電気が消え真っ暗になったのだが、演出か思っていたら停電だったらしい。
たいした騒ぎにもならず、進行していったので分かりませんでした。
こっちでは停電はよくあることのようです。


滞在4日目

本日は月曜日だが、大工さん日?で祝日でした。
いつも行っている、GUANABARAは休みで、その通りにある沢山のお店も大概が休みでしたので、いつもとは違う肉屋さんと八百屋さんで買い物。
八百屋さんでは、アボカドが砲丸玉位の大きさでびっくり。
マンゴーも大きかった。
林檎は日本のよりも小さかった。

昼は特に何も無かったので、自主練を。

夜は、メストレレッスン。
レッスン前は、いつも通りマクレレ・サンバ・ジョンゴのメンバーが練習。

この日は、メストレ バガルーミさんの息子のビット君の誕生日ホーダーがあった。
8歳になったそうです。





顔はかわいいのですが、バク転、マカコ、ホンダナ等を簡単にこなしてしう末恐ろしい8歳です。



滞在5日目

朝食を頂いて一息ついていると、マッキーニョさんがアカデミーアに。
バァリカナの木でビリンバウを製作していたので手伝う。

手順としては、
長さを調整した後、木の表皮を剥がし、やすりがけをする。
次に、アラーミを掛けるための箇所を削り細くする。
最後に、先端に厚い皮を釘で打ち込む。

という流れで6本ほど製作。
途中、道具を買いに道具屋さんに買出しに行ったりと、いい経験をさせてもらいました。

夜は上級者レッスン。
メストレ ミスチッソさん、メストレ ドゥンガさんが参加。
遅れて、コントラメストレ ショコラッチさんも参加していました。

レッスン内容は、
ミット打ちや、サンドバックへ蹴り込み。
チューブを巻いての蹴り込み。
二人組での組み手。
筋肉トレを行い、終盤はヘトヘトでした。
しかし今日行った内容は、とても楽だったらしく、いつもはこの倍ぐらいするそうです。


滞在6日目

朝食を頂き一息ついていると、メストレが帯を作っていたので手伝いつつ見学を。





ロープの束より1本ずつ切り出し、ほどけないよう切った箇所を結ぶ。
次に、先程作った帯をガスボンベがセットされている鍋にいれ、染料を入れて煮込み、染色された帯を日陰干しし完成。

侍先生、チグリ先生、ガファニョートさんは、コントラメストレと、メストレ帯を作っていました。
コントラメストレと、メストレ帯は上の方法ではできないので、筆に塗料をつけて塗っていました。





気が遠くなる作業をお疲れ様です。

夜は、マッキーニョさんの教えているクラスに参加。
日曜日に行った教会でレッスンをするとのことで徒歩で移動。





基本の蹴りを行いホーダを。
遅れてくる子の結構いて、最終的には小学生位の子が30人以上はいました。
カポエイラを初めたばかりで、アマーダ、プレザを蹴れなくても、ホンダナ、マカコが出来る子が沢山いて驚きました。
みんなカポエイラが大好きなようでした。


滞在7日目

朝食後、侍先生とチグリ先生は、引き続き帯の製作。
自分は、アカデミーアの掃き掃除を。
掃除の最中折れているビリンバウを発見し、掃除終了後バケッタを製作。
竹で製作したことはあったのですが、ビリーバの木からは初めてで、とても固く大変でした。
ナイフで削って、やすりをかけて完成。
午前中いっぱい掛かってしまいました。

昼食後、一息ついていると、渡部先生と角田さんが日本より到着。
片山さんと中嶋先生は、フェスタで使う肉や飲み物を買いに途中のスーパーに寄ったらしく、17時位に到着。

その後、ガファニョートさんと、モレージョとハテウと4人で、バチザドのチラシを貼りにbar(ちょっとした飲み屋)と学校にいきました。
barに行ったときは、昼過ぎだったのにもかかわらず満席で、テーブルはビールのビンがいっぱいでみんな盛り上がってました。

夜はメストレレッスンでホーダは無しでした。


滞在8日目

バチザド前日ということもあり、朝から沢山の人が出入りしていました。
自分は、メストレと中嶋先生と街に。

途中で、空港からアカデミーアに向かうパラナ支部の先生方と偶然会いました。

色々と用事を済ませて戻ると夕方に。

戻ると、ショコラッチさんが行うホーダがあるということなので向かいました。
現地に着くと、小学校でカポエイラを披露するショーみたいなものでした。
玄関前のロビーみたいな所で、15分~20分ホーダをして終了。

アカデミーアに戻ると、パラナ支部の先生達とアカデミーアの生徒がアクロバット技を披露していました。
動画等をとっておけば良かったと後悔してますが、とてもレベルが高く凄い技ばかりでした。


滞在9日目(Batizado)

バチザド当日。
朝から色々な人が準備やらで大忙し。

朝食をとって、メストレ宅の玄関前に座っていると、マムーチとカスカドゥーラさんが買出しに行くからついてこいと。
ハテウも合流し街に。

買出し後、マムーチと一足先にバチザド会場に。
マッキーニョさんと角田さんと合流し、帯を並べたりと会場設営を手伝う。
こっちでは、Instrutorより下の帯は、並べられている所から自分の帯を勝手に持っていき巻いていました。
その都度ぐちゃぐちゃにされては、並び直しての繰り返しでした。

間もなくしてバチザドが始まり、メストレ帯から順々に行われていき、途中にマクレレ、サンバ、ジョンゴが披露されていきました。
侍先生がメストレに、チグリ先生がコントラメストレに、中嶋先生が昇段、渡部先生がプロフェッソールに昇段されました。







途中に日本からのサプライズの映像が流れ、とても感動的でした。
20時位に無事終了し、荷物を置きにアカデミーアに戻り、ほどなくして車で打ち上げ会場に向かう。
会場は、宿泊施設もあり、プール、グラウンド(サッカーゴール付き)、芝生もありとても広い場所でした。

到着するとすでにみんなは、ご飯を食べたり、ビールを飲んだりと盛り上がっていました。
食事を頂きゆっくりしていると、グリフォーに呼ばれグラウンドでサッカー(4対4のミニゲーム)をすることに。






始まると続々と集り出し、交代交代行う。
1時間ほどサッカーをし、疲れたのでフェスの会場に戻る。

サッカー盤のゲームがあり、すごい人だかりになっていたので行ってみると、バギーニョさんがとてもうまくめちゃめちゃはしゃいでいました。(翌日メストレともやったのですが、メストレもとても上手かったです。)






ビリヤードには、バイヤーノさん達がやっていました。
ブラジルでは、ボールに数字が書かれておらず、2色のボールのみで、自分の決めた色を相手より早く全部落とした人の勝ちというルールでやっていました。

卓球には、すば抜けて上手い2人のプロフェッソールがいて、だれも2人には敵いませんでした。


滞在10日目(Festa2日目)

バチザド打ち上げ2日目。
本部の打ち上げは、1泊2日ということなので驚きです。

朝7時位に起きるとみんなプールに入っていた。
どうやらみんな夜通し騒いでいたようです。

サッカー、ビリヤード、卓球、プールとひとしきり楽しんでいると、Mestre MintirinhaさんとMestre Nacionalさんの歌のホーダが始まるり、続々とそのホーダに人が集まり出す。
そのホーダで、渡部先生がリード歌い、みんながCOROを返す時があり、偶然にもそのホーダの中に自分は、言葉ではいい表わせないグッとくるものがありました。
歌が始まると当然ジョゴが始まるわけで、パラナのバタータ先生とメストレのジョゴが始まり、片方のホーダでは歌を、もう片方のホーダではジョゴをというのが1時間以上は続いたと思います。
自分もそのホーダに参加でき、パラナの先生達や、本部のプロフェッソルやメストレ達とジョゴができ、本当にいい経験になりました。

しばらくするとメストレから止めがかかり、打ち上げ会場でゲーム等を。
言葉がわからないので何をやっているか分からなかったのですが、レディーガガの曲に合わせて即興でダンスを踊ったり、即興で物語を作ったりするゲームを行い、上手く行った人が景品を貰っていました。
最後に、日本の先生方のサプライズがあり、みんなからの色紙とタオルのプレゼントを贈呈し終了。

アカデミーアに戻ると食事も取らずに寝てしまいました。


滞在11日目(滞在最終日)

朝はゆっくりと起床。
朝食を頂き、ひょんなことから山へバリカナの木をとりに山へマッキーニョさんと、パラナのプロフェッソール ジェジュイズさんと3人行くとこに。
車で、リオデジャネイロの反対方向へ車で1時間位行った山へ。
周りは、山、山、山で、採掘場があったりとそうとう奥地に来たようです。
当然、すれ違う車はダンプのみです。

山にはマッキーニョさんが先頭で、道なんか無いためなたで木を切り、道を作って進んで行きます。







道も急勾配で、しかも地面もぬかるんでいて、ランニングシューズで行った自分は滑りっぱなしでした。
南米の山はマウンテンブーツをお勧めします。
進んでいる途中で、真っすぐでいい太さの木があれば切って行くという作業を3時間位行い、全部で30本位切って各々10本位担いで下山。
木も担いでいるせいで下山は一苦労しました。
みなさん足手まといですみませんでした。






無事下山後、アカデミーアに帰宅。

夜は、パラナ支部の先生と日本から来た我々のお別れホーダを行ってくれました。

ホーダ終了後、シュハスコをして頂きとても美味しく、シュハステイロのバギーニョさんありがとうございました。


帰国日

朝、メストレと丘の上のパン屋に買い出しに。
朝食を頂き、荷支度をしていると、グリフォー、カイマン、サヨナラ、マリレーニ、ビットがお別れを言いにわざわざ来てくれた。
14時ぐらいにアカデミーヤを出発し空港に。
メストレ、カントーラさん、ゴヤ、モレージョが見送りに来てくれて、18時55分にリオデジャネイロより日本に向かって出発。


以上が自分が滞在していたときの出来事を簡単にまとめてみました。

今回の渡伯で、暖かく迎えいれてくださった、メストレ、カントーラさん、ヒアン君、オウザーダさん、有難うございます。
お陰様で日本に帰りたいと思うことなく、とても楽しくそして充実した日を過ごせました。

色々と教えてくださった、メストレバガルーミさん、メストレミスチーソさん、メストレドゥンガさん、コントレメストレショコラッチさん、バギーニョさん、バイヤーノさん、パラナ支部のジェズイスさん、バタータさん、セボーラさん有難うございます。

そして言葉の分からない自分を、アミーゴと言ってくれた、マッキーニョさん、ガファニョートさん、モレージョ、ゴヤ、マムーチ、ビットありがとう。

道場に毎日来ていた、コンドー、マリレーニ、サヨナラ、カイマン、グリフォー、ブジューは、自分と同じVerdeAmareloとAmarelo ponta verdeの子が大半でしたので、彼らに負けないよう日本で稽古に励み、彼らの成長を楽しみにしたいと思います。

ブラジルでの自分行動を温かく見守ってくれた、侍先生、チグリ先生、中嶋先生、渡部先生、片山さん、中村愛子さん有難うご御座いました。

団体行動を背中で教えてくれた、アフーダ先生、神戸のアンドリーニャ先生有難う御座いました。
とても勉強になりました。

そいていつも一緒に居てくれた泉君有難う。
とても心強かったです。

最後に、この素晴らしい環境を作ってくださったMestre Decio館長と先生方に感謝し、レポートを終了させて頂きます。

長文になってしまったことをお許しください。











Ate ano que vem!!

20101115

ブラジル渡航レポート Vol.18

先月渡伯したメンバーによるブラジルレポートです。

東京支部目黒道場主 渡部

Sou Professor

10月23日(土)ついにブラジルでProfessorの帯を取得しました。
Professorの帯を取るまでは今までの記事で述べたように、色々考え行動してきました。
professorとは何なのか?Professorとして自分はふさわしいのか?

今年はItaguaí本部が30周年という事もあり、例年よりも多くのMestreやその生徒たちがBatizadoに訪れてくれました。
今まで日本で帯を取得してきたのとは全く違った環境でのProfessorへの昇段は生涯忘れないであろう経験となりました。
いつもと違う場所で初めて出会う多くのMestre、ContraMestre、Professorともジョゴをし、腰には新しい帯が巻かれました。



しかし、その時の心境はというと、以外に冷静でした。
全身にさぶいぼが出るほどの感動に包まれたわけでもなく、自分が何をやっていたか分からないほど舞い上がったわけでもなく、相手をしていただいた先生方のプレッシャーに押しつぶされそうになったわけでもなく、ただただ冷静に自分のできるジョゴをしました。
あまりにも普通にProfessor昇段のジョゴは終わりました。

今までこの日に向けて色々取り組んできたProfessor昇段が何でこんなにもあっさり終わってしまったのか?それは、ただ、今までも自分は感動的なジョゴを何度も何度も経験してきたからだと思います。
今まであまりにも順調に毎年昇段を重ねてきた結果、昇段への感動が薄れてしまったなんてことはもちろんありません。
確かに帯が新しく切り替わる日は特別です。
しかし、それ以外の日本での目黒道場でのOpen Rodaも、他団体のRodaやBatizadoに行ったことも全て特別でした。

2010年10月23日僕の腰にはAzu ponta verde(青先緑)の真新しいProfessorの帯が巻かれました。
しかし、いつから僕はProfessorになったのでしょうか?
新しい帯を巻いたその瞬間からなんでしょうか?
今では僕がProfessorに昇段することが決まった時からなんだと思っています。
2年前にMestre Décioが「Mão de OnçaはInstrutorの帯をしているが、俺はProfessorだと思っている」と言ってくれたことがありました。
ひょっとしたらその時からかもしれません。

何でこんな傲慢ともとられるような考えをするのか?
それは、僕がCapoeiristaだからです。
僕は一度も敗れることなく10人の相手をぶっ倒してProfessorの帯を取ったわけではありません。
ただ、認められただけです。
誰かがある人をprofessorとして認めたことを周りの人たちも同じように認め始めてくれた時にCapoeiristaはProfessorになるのだと思います。

人それぞれに考えは色々あると思います。
ただ、僕は今後の昇段について一つの目標を立てました。
サプライズな昇段は絶対にしない」と。

20101109

ブラジル渡航レポート Vol.17

先月渡伯した千葉支部代表によるブラジルレポートです。

千葉支部代表 中村


「私たちは家族だ。」
Mestre Decioからずっと与えられ続けていた言葉だが、ようやくその意味を身をもって感じられるようになってきた。
よちよち歩きだった女の子は大きく成長して立派な女性に、
お腹の中にいた男の子はいたずら盛りに、
あどけなかった少年は私の背をとうに追い抜き、
同年代の共に稽古に励んだ仲間は立派な父親に。
町も人も、毎年少しずつ変わっていくブラジル。
年に一度リオの実家に帰る。
私と、私の家族の無事を報告する。

まずはcapoeiraありき、本部道場での稽古ありきというのが渡伯にあたっての心構え。
だからそういう意味では「実家に帰る」という表現は見方によっては不謹慎に思えるかもしれない。
ただ、一年に一度という再開を何度も何度も繰り返すうちに、そういう感覚になっていったことは事実だ。
本当の親族以上に家族らしい会話もなされている。
まずはお互いの無事、家族の健康を確かめ合う。
神様に感謝する。
それからrodaの中で互いの成長を確かめ合う。
これがcordao de contasにおける家族の在り方なのだ。


今年は本部の30周年記念の昇段式。
本部のMestre Vaga-lumeとMestre Mestiçoが2段階目のMestreの帯に、
そしてContra mestre Dungaと日本支部代表のContra mestre SamuraiがMestreの帯に昇段。
特に我が師、Samurai先生の昇段に関しては、生涯忘れられないものとなるだろう。
mestreの昇段というものは別格である。
capoeiraに携わる者であれば容易に想像出来る事だが、その実は想像すら出来ない。
「なんだかよくわからなかったけど凄かった。」
そんな小学生のような感想が一番しっくりくる表現だ。
とにかくあの空間に居られただけで良かった。

Berimbauが奏でられ、歌が添えられ、ジョゴをする。
馴染みのrodaの絵であるはずが、少し違ってみえた。

扉があった。
既に開いている扉だ。
扉に向かって歩くsamurai先生。
リオデジャネイロの名だたるMestre達がその扉の向こうからsamurai先生を招き入れる。
その扉を越えて歩いていくsamurai先生。
そして扉だけが消え、ジョゴをしているsamurai先生だけが残る。

こんな不思議な映像と実際の映像が混じりあってみえた。
その扉が入り口なのか出口なのかは分からない。
ただ、こちらからは見えない世界に行ってしまわれたような気がした。

その不思議な映像の余韻にひたりながら、私は自身のContra mestreへの昇段を受けた。
一緒に昇段したChocolateとともに、たくさんのmestreとrodaの中で会話を交わす。
当然ながらそこにあの扉はない。
ただ「君もあそこに近づいているよ」という証しは腰に巻かれていた。



今回の渡伯は子連れだったこともあり、samurai先生をはじめ同行した皆さんに助けられながらの生活となった。
そして暖かく迎えいれてくださったDecio館長一家。
さらには渡伯中に代行を引き受けてくれた上級生達や、お祝いの気持ちが詰め込まれた映像を送ってくださった生徒の皆さん。
全てに感謝したい。
Muito obrigado!


8月末に膝の前十字靭帯を断裂し、今月中旬に再建手術を受ける。
これらを軽く乗りきる力はもう、日本の、ブラジルの仲間達から頂いた。
あとは真っ直ぐ挑むのみ。

あの扉は開いていた。
開いたままで、閉じることなく消えていった。
あれはきっと誰にでも開かれている扉なのだ。
そして、そこに辿り着くまで歩み続ければ良いだけなのだ。



千葉支部代表 中村

20101105

ブラジル渡航レポート Vol.16 その2

先月渡伯した日本支部代表によるブラジルレポートです。

日本支部代表 池村 Samurai

先日のその1の続きその2

10月23日

30aniversario
Associação de Capoeira
Cordão de Contas
16°Encontro Internacional de Capoeira

30周年記念
カポエイラ協会コハダン・ジ・コンタス
カポエイラ国際大会第16回昇段式

30周年記念と言う事もあり、昇段式にはたくさんのMestre達が駆けつけてくれました。
以下来て頂いたリオデジャネイロのMestre達のお名前(順不同)

Mestre Mintirinha
Mestre Nacional
Mestre Chita
Mestre Polaco
Mestre Malhado
Mestre Chiquinho
Mestre Michel
Mestre Crioulo
Mestre Capa
Mestre Pequeno Jo
Mestra Thiara
Contra Mestra Cleide
Contra Mestre Americo
Contra Mestre Queixudo


当協会所属
Mestre Decio
Mestre Vaga-lume
Mestre Mestiço
Contra Mestre Dunga
(Contra Mestre Samurai)

皆リオデジャネイロでずっとカポエイラを続けている方ばかりで、50年以上の経験を持つMestre達もいらっしゃいます。

こんなにたくさんのMestre達がお祝いに来て頂けたのも、Decio館長の努力や、たくさんの人との繋がりで実現したのだと思います。
11年ぶりにお会いしたMestre Michelは私の事も覚えていてくれました。他のMestre達も何度もお会いする中で、そういえばお前マッサージしてたよな?という他愛の無いお話や、80年代に日本に行った事あるぞと言うお話も伺えます。中にはヨーロッパや中国にも行かれたお話なども。
色々ありすぎてここでは書ききれません。お会いした皆さまに感謝です。

昇段式は15:00開始予定でしたが、たくさんのメストレが遠方から駆けつけてくれている関係もあり、少し押して16:00から

教会の牧師さんのお祈りと挨拶で始まり、先生方によるRoda

MestreメインのRodaで、気後れしているとチャンスを逃してしまいます。胸を借りる勢いでチャンスがあれば入ります。
その中で、Mestre MintirinhaとMestre Nacional Mestre MalhadoのJogoが印象的でした。


皆さんリオデジャネイロを代表する古いMestreで、Mestre Mentirinha とMestre MalhadoはMestre Paranaの生徒で同門だったとか。Vale tudo com jiujitsuの歌にも出てくるMestre Mintirinha、世界的な大会で良く目にするMestre National、同じRodaにいるだけで緊張します。

皆舞い上がって少しでもRodaが乱れると容赦なく激が飛びます。


そんな時間もあっという間に過ぎ、


子供達によるマクレレダンス


子供の昇段式の後、いよいよ大人の昇段式です。

まずMestre Vaga-lumeとMestre Mestiçoが2段階目のMestreの帯(黄色+白)に昇段です。
帯を締める前に、参加してくれた全てのMestreが帯を両手で握りしめ、回していきます。Mestre達の気が帯に込められて行き、最後にMestre Vaga-lumiにはMestre Decioが、Mestre MestiçoにはMestre Nacionalが帯を締めて行きます。ここに新たなレベルのMestreが誕生したのを皆で見届けるという雰囲気です。



~~補足です。~~
当団体ではMestreの帯は4段階あり、各10年置きに一つ上がります。
最初が白+緑のシマ模様
2段目が白+黄のシマ模様
3段目が白+青のシマ模様
4段目は最終段階の真っ白です。
Mestreになった年から30年後に真っ白になると言う事です。


このRodaはまさしくMestreのみしか入れません。そして2段階目以上の帯のMestreでないとこの帯は渡せません。まずはMestre Nacionalが直々にJogoを開始します。

さすがはMestreのみのRodaです。言葉では言い表せない光景が目の前で起こります。映像もありますが、映像は情報にすぎません。この空気を感じたものでないとこの事は語れないのだろうと本当に思います。新参者の私ごときがおこがましい気もしますが、責任を持って書かせて頂いています事をご理解下さい。

ほぼ全員のMestre達のJogoが終わり、今度は私の名前が呼ばれましたそこでサプライズの日本支部からのお祝いのメッセージがプロジェクターで流れ、大変驚きました。長い事カポエイラを続けて来ましたがこんな事は初めての経験でした。皆さんありがとうございます。少し笑えましたが。

ここでも同じように、来て頂いた全てのMestreに帯を握ってもらい、帯に気が入ります。私は日本人としてこの場に立っていると言う事を強く意識していました。そして、一人ひとりのメストレ達が帯を握るたびにこちらを見てくれると同時に、自然と会釈をしていました。感謝の気持ちと、これから宜しくお願いしますと言う気持ちを込めて。
最後は我が師であるMestre Decioに帯を締めてもらいます。


最初のJogoもMestre Decioと開始します。


続けてMestre Capa


Mestre Chita


Mestre Mestiço 写真がボケました。


Mestre Nacional


Mestra Thiara


Mestre Chiquinho


Mestre Crioulo


Mestre Michel


Mestre Vaga-lume


ここまで連続でMestre達とJogoをするのは初めてです。4年前Contre Mestreに昇段する時もそうでしたが、今回は特別でした。Mestre NacionalやMestre Criouloに、息が上がっているのが伝わり、握手する時に呼吸を整える時間をもらいました。そんな時はTa bom?という質問にうなずいたら再開です。

まだ映像をしっかり見ていませんが、何をしたかほとんど記憶にありません。終わってから、脇腹が痛いのはなぜだろうと思ったくらいで。とにかく全てのスイッチをオンにして挑んだ事は確かですが、非常に疲れたのは言うまでもありません。

そこからはContra Mestre、Professorと続いて行きます。
同行した千葉支部代表中村、神奈川支部代表中嶋、目黒道場主渡部がこの辺のレポートをしてくれると思いますので割合させて頂きます。

今年は見送りか、、、、と思っていたContra Mestre DungaのMestreへの昇段が最後の最後でサプライズであり、心から喜びました。


皆本当におめでとうございます。一年に一度のBatizadoは日本もブラジルも変わりません。昨年Mestreに昇段するぞとMestre Decioに言われた時は冗談かと思いましたが、Mestre Decioはその手の冗談は絶対に言いません。ですので覚悟を決めてうなづきました。
Dungaに関しても決まっていたようですが、家庭の事情があり、なかなか思うように稽古ができておらず、今年こういった形で最後に昇段すると言う事になったようです。本人はしっかり稽古して心も体も受け入れ態勢が出来てからという気持ちがあったのでしょう。ですがDecio館長が判断する事ですから、私達はただ覚悟を決めてうなずけば良いのです。その変わり、Mestreという帯には責任がありますので、ふざけた事は絶対に出来ません。

昇段式の後の打ち上げで、たくさんのメストレと話をしました。
一様に言われた事は、責任
カポエイラ家としてしっかりとカポエイラを伝えていくと言う事、そして普段からMestreとして立ち振る舞わなければいけません。

一番これは思った事も無かったと感じた事は、『道』について。
Mestreとは今までとは違う『道』を歩むのだと言われました。

一人前だと言う事で、Mestreが歩けばそこが『道』になると言う事なのかと個人的にはとらえました。

まだ新参者で何も分かりません。
ですが責任を持って歩ませていただきます。

本当に有難うございました。感謝

2010年11月6日
Mestre Samurai


参考までにメストレの年齢と本名
Mestre Mintirinha 1950- LUIZ AMÉRICO DA SILVA
Mestre Nacional 1947- ADALBERTO DE SOUZA ALVARENGA
Mestre Chita 1947- Itamar da Conceição Magalhães

20101103

ブラジル渡航レポート Vol.16 その1

先月渡伯した日本支部代表によるブラジルレポートです。

日本支部代表 池村 Samurai

先月14日~28日までの約2週間、リオデジャネイロ本部30周年記念、第16回昇段式へ参加してまいりました。今回は写真をたくさん撮りましたので、絵日記のような感覚で読んで頂ければと思います。

10月14日
成田空港第2ターミナル
アメリカン航空60便 18:05発
ダラス-サンパウロ経由リオデジャネイロ行き

成田-ダラス 11時間30分
乗り継ぎ時間 2時間25分
ダラス-サンパウロ 10時間15分
乗り継ぎ時間 4時間20分
サンパウロ-リオデジャネイロ 1時間15分
合計29時間45分の長旅です。
今思えば本当に長いと思いますが、当日は頭を空にして、時間の事は考えないで楽しもうと思い、実際よりも短く感じました。


ダラス空港

ダラスでは乗り継ぎ時間がほとんどなく、空港内をふらっとしたら乗り換えゲートにて待機と言う感じ。
サンパウロでようやく一息

エスプレッソコーヒーとエンパナーダカルニ
機内のコーヒーがお世辞にも美味しいとは言えなかったので、サンパウロで飲むコーヒーに感動。
帰りも同じカフェバーで同じ物を注文したほどだ。
パイ生地に包まれた具は、ピロシキのような感じで非常に美味しい。

リオの空港についてゲートを出る前にドルからヘアウに両替

今回初めて100ヘアウ紙幣を目にする。
50が当たり前なので、なんだか新鮮だ。

ブラジルでの日常は個人ブログに書かせていただいたので、軽く日常と、昇段式メインに書かせて頂きます。
個人ブログはこちら クリック

日常生活
リオデジャネイロでの生活は、主に稽古か昇段式の準備。私達日本人が生活するスペースは、Mestre宅の2Fのスペース。3部屋とリビング。キッチンは無く、トイレとシャワーが付いた空間だ。

2Fの洗濯物干しスペースからはこんな光景が。

3部屋と言っても、ベッドがあるくらいで寝る以外では何も無い。私は、今回初めてリビングのソファーベットで過ごした。リビングに一人なのでなかなか快適でした。ただ、トイレの目の前なので、皆が気を遣ったのではないかと言うのが本音だが、まあ良いでしょう。

日中はクラスの無い時間は早めに来た生徒達が自主練習をしている。
学生が多く、自主練習と言っても大技の練習がメインだ。

Mestre Vaga-lumeの息子であるビットは、口数は少ないが技は多い。

Grifoは身長が伸びてもはや私の身長など通過点であろう。


昇段式前は主に出し物。マクレレやサンバの練習がメインになっていた。
道場は空気がこもりやすいので皆裸で元気に練習する。


アタバキは好きな子は本当に上手だ。サンバを叩かせたら物凄い事になる。しかも皆それぞれ叩き方が違ったりするので、勉強になる。ちなみに写真の子はまだそれほど上手くない。


あとは帯を作ったり、ビリンバウを作ったり。

今回は皆で手伝ってみた。若手には良い勉強になる。

ナタでバケッタを削り出す。


ガスボンベから直接コンロに繋ぎ、レンガの台に乗せて鍋で煮込みながら染めていく。


染め終わった帯を日陰干し。

仕事の後は1階のMestre宅での美味しい昼食が待っている。

毎日おいしい食事を有難うございます。

昇段式まではこんな毎日が続き、夜はレッスンかホーダ。
レッスン前に

最高師範Mestre Decioと


Mestre Vaga-lumeと


大先輩Professor Cotoneteと


今年Contra Mestreに昇段したChocolateと

ホーダの映像はいくつか録画してきたので、昇段式の映像とまとめて団体内で回していく予定です。しばしお待ちを。

なんだか長くなってしまったので、その1とさせていただきます。
昇段式や今回の感想などはその2で書かせて頂きます。

ではでは

代表池村