20120426

支部長ブログ Vol.80

月毎にランダムに東京・千葉・神奈川・静岡・新潟支部長が記事を書いて投稿していきます。

目黒道場主 渡部 健志

2月26日~3月12日まで約2週間ブラジルに行ってきました。
ここ3年は本部のあるリオ・デ・ジャネイロだけでなくバイーア州のサルヴァドールという町にも行き、そちらのカポエイラに参加しながら色んなことを学んでます。
今年は今まで最長の5泊をサルヴァドールで過ごし、その間可能な限り色んなグループのカポエイラに出かけました。
今回はそれを紹介させてもらおうと思います。


 ◆28日(火)メストレ・ジョン・ペケーノのアカデミアのホーダに参加

メストレ・ジョン・ペケーノは昨年93歳で亡くなってしまいましたが、その弟子たちがしっかりとアカデミアを継いでます。
カポエイラのスタイルは伝統を感じるアンゴラ。
アカデミアのメンバーは色んな動きが身体にしっかりとしみ込むまで反復練習している感じで、特に派手な動きはしませんが、自分のすきは最小限に抑え相手のすきを確実に突こうという意思がジョゴに表れていました。
参加者の約1/3は僕のような他のグループの人でした。
僕は1回のみのジョゴでしたが、相手は得体のしれないアンゴレイロいやマンジンゲイロ。
どこやらのコントラ・メストレらしかったですが、手足が長くゆったりとした動きの中にも関わらず攻撃はかなり鋭く、、、伝えきれないのが残念です。
 2時間ほど経ったとき、それまで盛り上がっていたところにいきなり「Devagar,devagar(ゆっくり、ゆっくり)」の歌。とたんに楽器のスピードは落ち、ジョゴも穏やかになりました。
そして「Adeus(さらば)」の歌に変わった途端バテリアが反時計回りにゆっくりと回り始め、1周回って落ち着いたときに「イェイ!」と終了。
おもしろかったです。

      <メストレ・ジョン・ペケーノのアカデミア >


◆2月29日(水)昼FICAにてメストレ・ヴァウミーのレッスンに参加。夜メストレボカ・ヒカのホーダに参加
 
メストレ・ヴァウミーは昨年来日した際に知り合うことができ、約10カ月ぶりの再会でした。
日本で行われたホーダではその計り知れない強さを感じ、WSでは納得できる理論に基づいた動きを学び、僕のカポエイラに大きな影響を与えてくれた人です。
レッスンでは熱さと慣れない低い動きで相当バテました。
残り10分でもうヤバイと感じたときに歌に切り替わってくれてかなり救われました。
しかし、歌は一人1曲ずつラダイーニャを歌うというもので、慣れない人にとったら相当なプレッシャーだったかもしれません。
           <メストレ・ヴァウミー> 

メストレ・ボカ・ヒカは見た感じ80歳は超えてそうなおじいちゃんです。
歌声が特徴的で、僕も2枚CDを持ってますが本当に癒されます。
メストレ・ボカ・ヒカはもうジョゴはしませんが、約3時間のホーダの半分以上歌い、トイレに行く以外はずっとビリンバウを弾いてました。
声もだいぶ出なくなってるので、耳からひっかけるタイプの小型マイクを使って歌を歌います。
ホーダの開始前にメストレ・ボカ・ヒカと話してるうちにビリンバウを弾くことになり、あやうく僕のグンガでホーダが始まるところでした。
結局グンガをメストレ・ホベルバウ、メジオが僕、メストレ・ボカ・ヒカがヴィオラでホーダが始まり、その空間にいることがとても幸せに感じれました。
ホーダに集まった人たちはどこのメンバーかも分からないほど自由な服装の人たちばかりでしたが、ホーダが始まるとそのレベルの高さは相当でした。
女性もかなり強い。
3時間のホーダで一瞬たりとも目が離せないくらい白熱したジョゴが続きました。
僕も何回かジョゴでき、大満足でした。
           <メストレ・ボカ・ヒカ> 

◆3月1日(木)カポエイラ・テンポのホーダに参加

日本でもおなじみのカポエイラ・テンポの本部に行くとメストレ・トニーが大歓迎してくれ、プロフェッソール・フラッカオンやプロフェッソール・ヴェフネーリョとも再会を喜び合え、とても居心地の良いホーダでした。
さすがブラジルのヘジョナウで、当たりもプレッシャーも強く、僕もそれに負けないプレッシャーをかけながらぶつかり合うのがとても気持ち良かったです。
子どもたちもめちゃめちゃ元気で、悪ふざけが過ぎて何度も怒られてました。
終わった後はメストレ・トニーに「ビールに行くぞ!」とホーダに負けないくらいの勢いのみんなの飲みっぷりに付き合うことになり、日本では絶対にあり得ない缶ビール3本を飲む羽目になりました。
ただ、250cc缶だったので助かりました。
            <メストレ・トニー> 

◆3月2日(金)メストレ・ヘネのホーダ&メストレ・ルア・ハスタのホーダをはしご

メストレ・ヘネは日本ではおなじみのメストレです。
 4年連続12月に日本に来てWSやホーダをしていて、僕も毎回参加しています。
昨年は東京でのホーダがうちの道場で行われました。
今回サルヴァドールのホーダ巡りでも一番の楽しみにしていたホーダでした。
メストレ・ヘネは貧困から子どもが非行に走らないために、子どもたちにカポエイラを通して生きることの素晴らしさや自分に誇りを持つことの大事さを伝える活動をしています。
そのためかアカデミアはスラムに入った危険な空気がかなり感じられる一角にあります。
表通りから一本中に入るだけなのにかなりの覚悟が要ります。
とにかくなるべく平静を装ってアカデミアへ向かいました。
アカデミアに着いてメストレ・ヘネと息子のコントラメストレ・ヘニーが歓迎してくれましたが、二人のあまりのたたずまいの美しさに一瞬恐怖を感じました。
その後続々と到着するメンバーがあまりにも姿勢が美しく落ち着きと誇りを兼ね揃えているのには正直驚きました。
メストレ・ヘネが教えてることの素晴らしさがメンバーを通して理解できました。
ホーダは今まで体験したことのないほどののエネルギーに溢れ、何度ものまれそうになりながら自分を維持するのがやっとでした。
1時間15分ほどの短いホーダでしたが、どのホーダよりも濃いものを感じました。
何度かジョゴに参加し、自分としては雰囲気にのまれないためにいつも以上に余裕をすり減らしたジョゴでしたが、終わった後には色んな人から「良かった」と言ってもらえたことは幸いでした。
             <メストレ・ヘネ> 

その後すぐジェズース広場で行われるメストレ・ルア・ハスタのホーダに向かいました。
メストレ・ルア・ハスタもメストレ・ヘネと同様に若者を非行から守るためにカポエイラを教えている人です。
ただ、同じことを目指していても人が変わるとこうも変わるのかと思うくらい真逆な感じを受ける二人です。
メストレ・ルア・ハスタはとにかく自分が思いっきり人生を楽しみまくり、弟子たちもやんちゃなままの自然体で一緒になって楽しみまくります。
服装もスタイルもみんな自由で、その雰囲気についていけないと逆に孤独感を感じてしまうかもしれません。
メストレ・ルア・ハスタは楽器職人でもあり、素晴らしい楽器を店の裏の工房で作っていて、僕も今までいくつも楽器を購入しています。今回ももちろん。
ホーダ前にお店からパレードのように楽器を弾きならし、歌を歌い、踊りながら練り歩き、広場についてホーダが始まっても半分お祭り気分です。
歌もその場に合わせて即興でどんどん歌詞が作られ、度々笑いに包まれます。
僕がジョゴしてる間も日本人の僕がサルヴァドールにやってきてジェズース広場のホーダに参加したということを延々と歌ってました。
         <メストレ・ルア・ハスタの工房>  


今回はサルヴァドールで色んなカポエイラに触れることができましたが、どれも同じものはなく、それぞれに特徴がありましたが、一つ言えることはどれもが本物だということです。
カポエイラの伝わり方によって色々なスタイルが生まれていますが、カポエイラを後世にしっかりと伝えていきたいと思う人のところに本物はあるんだなと感じました。
みなさんも自分もその流れの中にいるんだと感じているならば、一度は触れてみてはいかがでしょうか?
恵まれたことに日本には毎年何人もの本物のメストレたちが訪れてきます。
まずそれに触れて、機会があれば世界に飛び出せるといいですね。
           <ラセルダ・エレベーター> 
          <ペリョリーニョの街並み>  


Mão de Onça

20120405

支部長ブログ Vol.79

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千葉支部 中村 理


3月31日フィットネスクラブ金町のダンス発表会にてゲストとしてcapoeiraのデモンストレーションを行いました。
このスポーツクラブで当団体のMonitor Brincoがcapoeiraのクラスを担当している繋がりで今回の出演と相成りました。
あいにくの雨と強風でしたが、関係者各位の努力もあってたくさんの方々がこの発表会に足を運んでくださっていました。
capoeiraの関係者もお足元悪い中ご来場ありがとうございました。

裏方さんの仕事はどの世界も大変ですが、金町の皆さんは常に笑顔で元気いっぱい。
パワフルな方々が多かったです。

出演者は子どもたちによるバレエや空手、おじさまたちによるHIPHOPなどバラエティーに富んだものばかりで観ている方たちからも歓声が上がっていました。
親しみやすく、観ている側との距離が近い素敵な発表会でした。

この日の為に練習を積んできた生徒の皆さんに混じって同じ舞台に立つ。
粗相のないよう気合いを入れてcapoeiraをしてきました。
普段と違う空気でのcapoeiraは私たちにとっても良い経験となります。
今回も勉強させていただきました。
ありがとうございました。



中村

20120403

支部長ブログ Vol.78

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目黒道場主 渡部 健志

3月25日(日)茨城県土浦までフィーリョス・ダ・テーハのバチザドに参加してきました。
フィーリョス・ダ・テーハの代表であるプロフェッソール・シーナが数年前にブラジルに帰っていましたが、今回日本に戻ってくるとのことで、それまでの間昇段できなかった人たちの昇段式が行われました。
参加者が全員で50名ほどのこじんまりとしたものでしたが、とても良いバチザドでした。
ただ、外部からの参加者の多くはブラジル人を代表に持つグループでした。

現在日本にはブラジル人(日系も含む)が代表のグループが多数ありますが、プロフェッソール・シーナなどはその草分け的存在です。
日本にまだまだカポエイラが根付いてない時代からの人です。
その当時のブラジル人がブラジル人だけのコミュニティーではなく日本人を対象にカポエイラを教えていく苦労は相当だっただろうと思います。

もし僕が日本の伝統的武術をやっていて、はるか遠く異国の地に仕事で行くことになったとします。
一旦その地に行ってしまったら日本にはいつ帰れるか分かりません。
僕は武術をとても愛していますが、まだまだ師範レベルではありません。
けど、異国に行ったらもう師範の指導を仰ぐことはできません。
その武術を続けるには、その異国の地で現地の人を巻き込んでやるしかありません。
とにかく始めてみたものの困難の連続です。
周りからは「あいつは本当に指導資格のあるレベルなのか?」と白い目で見られることもあります。
現地で興味を持った人たちのうち数人は日本に渡り、師範のもとに何度か訪れているうちに指導資格を得て正式団体を作りました。
何年も経つうちにようやくその地でも武術が広まり始めましたが、快く協力してくれるのは自分と同じ境遇の数人の日本人が中心でした。

さて、どうでしょう?
日本でカポエイラ団体の代表をやってきたブラジル人にも同じようなことがあてはまらないでしょうか?
現に僕がカポエイラを始める前から日本でカポエイラのグループを作っていたシーナと僕は同じプロフェッソールです。
だからといって、僕は同じプロフェッソールだとは思ってません。
今日本では、なかなかブラジルに帰れず、自分の先生ともつながることが難しいブラジル人を日本人がどんどん帯のレベルでは追い越していってます。
僕は今回のバチザドに行くまでシーナとは数回会ったことはありましたが、話をしたのは今回が初めてです。
雑談を軽くした程度で、こんな深い話には触れませんでしたが、シーナ不在でもグループを支えてきた日本人の弟子たちを見てると話さずとも感じ取れます。

カポエイラを愛し、それを次の世代に伝えていきたいと心から思える人のもとに本物のカポエイラはあります。
うちのグループのようにブラジルの本部としっかりつながっていることも大事なことですが、それだけが本物だと勘違いしてはだめです。
そういう意味では、今回のフィーリョス・ダ・テーハのようなグループのバチザドに日本人代表のグループがもっと参加できるようになれば良いなと思いました。