20100319

支部長ブログVol.41

毎月ランダムに東京・大阪・千葉・神奈川・兵庫・静岡・新潟支部長が記事を書いて投稿していきます。

千葉支部代表 中村


B5用紙両面に載せた歌を約1ヶ月に一枚ずつ。
歌の時間を稽古中に設けて4年が過ぎました。
最初は私のクラスだけでしか扱えませんでしたが、生徒さんの協力もあってCD化。
より多くの方に歌を覚えてもらえるようになりました。
今では黄緑帯でもビリンバウを弾きながら歌う絵もよく見受けられます。
皆さんの好奇心を満たしてあげられるよう、今後も色んな歌を仕入れていくつもりです。

しかし今月はあえて第一回歌講座のプリントをまた引っ張りだしてきました。
初めて聞く人も、「懐かしい!」と感じる人も、もう一度取り組み直しです。
何と言っても4年以上前なので頻繁に歌われているもの以外は、私も含め記憶が曖昧になってきているはずです。
初めて聞いた人は歌の返しを覚えて、覚えている人はリード部分やその意味にも目を向けてみてください。

年々歌への関心が深まっているので、今回から行う復習もきっと良い方向にいくと思います。

数曲歌を覚えてそれっきりの人達も、これを機にレパートリーを増やしてください。
私も精進します。

20100304

支部長ブログVol.40

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日本支部代表 池村

本日3日、目黒道場主渡部他4名がBrasilへ向け旅立ちました。
Boa viagem!!

ひとつ前のBlogでも『Japones Garantido』について渡部先生が書いていました。

先月末千秋楽を迎えたミュージカル『Garantido』~生きた証~ですが、昨年末にも少し書かせて頂きました。


今回は終わってからの感想と言いますか、オファーから千秋楽までの道のりみたいなものを少し書かせて頂きます。

まずお話をいただいたのは昨年9月頃だったでしょうか。そして実際に稽古が始まったのは12月30日でした。
その前に出演者の方が個人的にカポエイラを習いに来ていましたが、最初にほぼ全員がそろったのは年末です。
その後稽古場に移り、断片的にカポエイラの動きを指導しながらほぼ固まったのは1月下旬ごろだったと思います。ほんのひと月あまりであっという間に動きを吸収していく役者さん達は、流石としか言いようがありませんでした。
10年近く指導してきましたが、この人数が一気にある程度のレベルまで上達するという事は通常はあり得ません。プロの役者さんですから、振付としてカウントを取りながらですが、お互いの間合いを肌で感じながら動いている感じでした。そこへ演出家の手が加わりますから、平べったい物が立体的になり、音楽や映像、衣装まで付くと臨場感が現実以上に感じられます。映画のワンシーンを生で見ているというのでしょうか。

音楽、証明、美術、音響、衣装、映像、アクション、舞台監督、それにかかわるスタッフのみなさん方が、職人として一つの作品を作り上げるという事が、これほど大変な作業なのかと感じながらも、観客的視線で観てみたり、カポエイラ家として観てみたりしている自分自身に面白いなと思えたりもしました。

役者さんは演じていますから、実際どう見えているのかが分かりません。ですからこちらも役者さん目線と演出家の先生目線の二つでカポエイラを見なければいけないなと常に思いながら作業をさせて頂きました。短期間での指導でカポエイラがどこまで表現出来るかの予想は非常に難しい。と、今回特に思いました。

千秋楽を迎え、私個人の感想ですが、カポエイラってこんなに格好良く表現できるんだ。と新たな目線が生まれたという事。そして、カポエイラは性格がもろに動きに出るのですが、役者さんの役ごとの思いで、カポエイラも変化するんだという事。
そして一番大事だと思った事が、作品が何を伝えようとしているのかをしっかりくみ取る事なんだなと。
振りが違った、音楽がずれた、照明が遅れた、セリフが違った、、、、
そういう事ではなく、(作り手側としては重要ですが)作品に込められたメッセージをどう受け止め、何を思うか、何を感じたか、その結果どう変化したのかと自身に問いかけてみる事ではないのかなあと。

大人になってから小さい頃見ていたTVアニメや動揺などを、今になって改めて思い返してみると、凄いメッセージが込められているなとびっくりする事もあります。その時見えなかった、聞こえなかった、感じなかっただけであって、それがいけないのではないと思います。分かる時が来ただけで、それを観るタイミングであったり、興味を持つ、待たないが、その作品をどう受け止めるかに相当大きな影響が出ると思います。その為のキャストであったり、演出であったりするわけだ。興味を持つという事がどれだけ大事か、皆さんもその為にはどうすれば良いのかと日々葛藤している事と思います。
話を聞いてもらうだけの事でも、これはとても重要な事だと思います。

思考は常に変化し、環境も変わる。自分自身も歳をとり、それなりに人生を経験して自信が付く。それにより見えなくなってしまった、聞こえなくなってしまった事も多いはず。常に柔軟でありたいが、完璧にはなれない。そんな自分自身を可愛いなと思えるくらいのゆとりで日々過ごしていきたいと思っております。

頑張りすぎるという事が少々苦手なもので。

今回このすばらしい作品に関われた事、そして観に来て下さった方々、スタッフの皆さま方にこの場をお借りしましてお礼申し上げます。

Muito Obrigado! Obrigado tudo!

20100301

支部長ブログ Vol.39

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東京支部目黒道場主 渡部

JAPONES GARANTIDO

先日ミュージカル「GARANTIDO」を見に行ってきた。
ブラジルに渡った日本人、日系人が第2次世界大戦後の困難を乗り越えていくというストーリーだ。
第2次世界大戦で日本とブラジルは敵対する国となったため、ブラジルに移り住んでいた日本人や日系人は財産を凍結された上に収容施設に強制的に入れられた。
陽気で脳天気に思われがちなブラジル人は、実は一度受けた裏切りは絶対に許さず、いつまでも根に持つという国民性がある。
そんなブラジル社会で日本人や日系人が一度失った信用を取り戻すことはたやすいことではなかった。
まじめで、よく働き、嘘をつかない日本人の国民性を地道に示していくことこそがブラジルでもう一度信用を取り戻すための「GARANTIDO(保証)」だった。


3月3日、4度目のブラジルへ向けて日本を発つ。
2001年の暮れ、縁あってCapoeiraに出会い、それまで特別に思っていなかったブラジルという国が一気に関心のある国へと変わった。
2005年ブラジルに行けることなんか一生に一度しかないかもしれないチャンスと思い3週間の休みを取って日本を発ったはずが、早4度目である。
Capoeiraが僕をブラジルに近付けてくれ、行く度にブラジルの他の文化への関心をも高めてくれている。
今でももっともっとブラジルのことを知りたいという欲求が日々高まっていく。
今まで3度のブラジルはリオ・デ・ジャネイロ滞在のみで、そのほとんどを本部道場のあるイタグアイで過ごした。
しかし、今回は違う。
まず、サルバドールに向かう。
サルバドールはCapoeiraの聖地とも呼ばれる町で、あちこちにCapoeira道場があるという。
3日間と少ないが、可能な限りサルバドールのCapoeiraやその他今ではまだ想像できない色んなものを吸収してくるつもりだ。
どんなものが自分を待っていてくれるのか。
そのあとイタグアイに移動するが、今回は本部道場に留まるだけではないはずだ。
今回の目的は「自分を試す」ことなのだから。
メストレに自分がどうしたいかを伝えた結果、リオのストリートホーダや他のグループのホーダに連れて行ってもらえることになった。
ブラジルというCapoeiraの本場で、違うグループのホーダにおいて自分がいったいどれだけのCapoeiraができるのだろうか?
日本ではCapoeiraを指導している身であっても、ブラジルに行くと日本というCapoeira後進国から来た名も知らないJpaonesが来たにすぎない。
そこで自分が日本人Capoeiristaとして何を示せるのか。

今回のブラジルは僕を含め6名で行く。
それぞれが持ち帰ってくるものは、まだブラジルに行っていないメンバーやこれから行こうとしているメンバーにとっても大きな財産になると思っている。
何かの縁あってCapoeiraに出会い、Capoeiraをしているメンバーにとってブラジルという国は多かれ少なかれ関心のある国だと思う。
ブラジルという国をCapoeiraだけという狭い視野で見てほしくないとも思っている。
Capoeiraが今に至るまでの歴史、Capoeiraとともに発展してきた文化などももっと知ることができたら、もっともっと楽しいはずだ。

現在日本にいるブラジル人は、日本に住んでいる外国人の中で国別の人口では第3位である。
しかし、その割には普段あまり関わりをもってない現実もある。
ブラジルで苦しい時代を乗り越えてきた日本人の子孫も多く日本にいるというのに。
ブラジルから帰ってきたら、まだまだ日本でもできそうなことがいっぱいありそうだ。
日本人として、日本人Capoeiristaとして何をやっていけるのか。


今の時代において自分が示せる「Japones Garantido」を見つけにブラジルに行ってきます。