20100218

支部長ブログ Vol.38

毎月ランダムに東京・千葉・神奈川・静岡・新潟支部長が記事を書いて投稿していきます。

東京支部目黒道場主 渡部

頭と肚(はら)

人の評価は肚で決まる。
立派な人のことを「肚のできた人」と言い、金払いのいい人を「太っ肚な人」と言う。
また、表と裏で違う顔を持つ人は「肚黒い人」と言われる。
高い買い物をするときは「肚を決め」、相手と分かりあえるまで話し合うときは「肚を割って」話す。
それに対して頭はと言うと、現代社会では頭の回転の良い人が重視されることが多いが、一昔前までは大事な場面で頭に頼ろうとする人は「頭でっかち」と批難されていた。
これは今ほど脳の働きが研究されていなかったからかもしれないのだが。
先人たちが長い経験の中で培ってきた身体への意識というものは言葉という形で今も受け継がれている。
しかし、何もかもが便利になった現代社会では、昔ほど身体の隅々までの意識に頼らずともできてしまうことが多くなってしまった。
その結果受け継がれてきた言葉にも変化が見られ、身体の変化や状態を表す言葉が残っているにしても身体への意識とは繋がりのないただの言葉へとなりつつある。
例えば、怒ることを昔の人たちは「肚がたつ」と言っていたのが現代では「頭にくる」と言う。
これは身体への意識が変われば言葉も自然と変化してしまう良い例である。

僕はカポエイラにおいてレッスンや自主練は「頭」、ホーダは「肚」という認識を持っている。
レッスンや自主練から得る知識や積み重ねた経験は自分自身を大きくしてくれる大事な要素である。
大学時代に僕が所属していたスポーツ・バイオメカニクス研究室の教授はよく「知ることは強くなること」と言っていた。
しかし、ホーダの中でのジョゴにおいて大事なことは「相手の肚を読む」ことである。
目の前の相手がいったい何を考えているのか、次に何をしようとしているのかを瞬時に判断するには頭で考えていては遅すぎる。
レッスンで習ったことを思い出しながら動こうとすれば、闘っている相手は目の前の人ではなく自分の記憶になってしまう。
これはジョゴにおいてはとてもさみしいことだ。
メストレ・デシオはよく「レッスンでやったことはホーダでは忘れろ。ホーダでは目の前の相手に集中しろ。レッスンで積み重ねたことはあるとき突然引き出されるものだ」と言っている。

ブラジルのイタグアイ本部では週に4回約1時間のホーダが行われている。
ホーダこそがカポエイラであり、そのホーダを豊かにするために日々のレッスンが行われている。
ホーダだけではなかなか得られない経験をレッスンは与えてくれ、失敗しても理解できるまで何度も反復できる。
しかし、それをホーダまで持ち込まないのがブラジルの素敵なところだ。
日本ではまだまだレッスン中心だから、ホーダとレッスンの境目がまだしっかりできてないように思える。
ただ、今の積み重ねもやがて日本のホーダをいずれブラジルのホーダにも劣らない「肚の据わった」ホーダへと繋がっていくのだと信じている。

その点、子どもたちは今でも肚でジョゴをする天才である。
子どもたちは相手の表情や周りの空気を敏感に察知し、それを頭でいちいち考えることなく行動に移せる。まさに本能でジョゴをしている。
しかも子どもは大人を解放してくれる。
子どもを相手にしてジョゴをするときは、子どもの動きに常に集中していなくてはいけない。頭で次に何をするか考えていては子どもの動きの変化についていけないばかりではなく子どもを危険にさらすことにもなる。
だから、子どもとジョゴをするときは大人たちも自然と肚でジョゴができるようになる。

成長の過程において、人はいつから頭が優先されてしまうのだろうか?
こんなことを言っている僕もまだまだホーダにおいて頭にチラつく雑念にしばし振り回されてしまう。
修行僧のように煩悩を振り払い、肚を練り上げる時間を持つだけの余裕をもっと持ちたい。
僕にとってホーダこそその時間なのだ。
いつでもホーダを求めて自分の身体が疼いている。

♪Avisa meu mano
Avisa meu mano
Avisa meu mano
Capoeira mandou me chmar♪

(仲間に伝えといてくれ。カポエイラが俺を呼んでいるからと)

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