20090104

ブラジル滞在レポート VOL.1

2008年秋、ブラジル本部でのバチザド(昇段式)に参加するために、日本支部から代表含む生徒数名がブラジル本部に渡航しました。現地で感じたことや学んだことなど、何度かに分けてレポートをアップしていきます。第一弾はHさんです!


Hさん(Virtuosa)
・滞在場所:ブラジル リオ・デ・ジャネイロ本部道場
・滞在期間:2008年10月15日~2008年10月30日
・同行・同期滞在者:日本支部代表 池村先生、Nさん(Cascudo)、Nさん(Energia)、Kさん(Ventania)



■ブラジル・イタグアイについて■
ブラジルへは、デルタ航空を利用しアトランタで乗り継ぎ、日本からほぼ丸一日かけてリオデジャネイロ国際空港に到着しました。
空港にはカントーラさんと、プロフェソール・ケシャード氏の息子さんのバギーニョが迎えに来てくれました。
アカデミーア(本部道場)のあるイタグアイへは、空港から車で2時間ほど。
その2時間の間に車同士の事故を3回目撃し、改めて「ここは日本とは違うんだ」という事実を嫌でも体感させられました。

■治安について■
一般的な海外渡航情報でも確認できるとおり、ブラジル都市部の治安は概ね悪いようです。
私はリオ中心部の滞在ではなかったので、そのあたりの状況は詳しくはわからなかったのですが、
滞在していたイタグアイに関しては、都市部に比べるとまだ治安は良い方だったようです。
しかしそれでも、近年は治安が悪化しており、現地の人でも街中で強盗に遭ったりしているようです。
女の子同士での外出は決して許されず、必ず男性か現地の方と同行のうえで外出するようにしていました。
現地で日本人の姿を見かけることはほぼ一度もなく、私たちが外を出歩くと、やはり現地の方から好奇の目で見られる事が多くありました。



■滞在・レッスンについて■
現地での滞在は、アカデミーアのあるメストレ・デシオ宅にお世話になりました。
3階建てで、1階はメストレ一家のお宅、2階は日本人はじめ外部から来た団体関係者が宿泊するフロア、そして3階が道場という造りになっていました。

レッスンは日曜を除く毎日あり、基本は夜からですが、朝もプロフェソール・ショコラッチが行っているレッスンに参加しました。
通常はメストレ・デシオのレッスンだと思うのですが、ちょうどこの時期メストレが顔を怪我されており、まだ動く事ができなかった時期だったので、メストレ・デシオ以外の先生方が代行で全てレッスンを行っていました。

夜は曜日毎に大人クラスと子供クラスに分かれていますが、私とNさん、Kさんは朝クラス、子供クラス、大人クラスとほぼ全てのレッスンを受けていました。

それに加え、ちょうど時期的にバチザド(昇段式)の直前だったので、子供たちがバチザドで披露するマクレレやサンバ・ヂ・ホーダにいつの間にか私たち(Hさん・Kさん)も参加する事になり、夜レッスンの前にはその練習にも参加していました。

朝・夕方・夜と2~3レッスンを毎日こなすハードスケジュールで、今までに体験した事がないくらい、筋肉痛で体がボロボロになりました。
毎日悲鳴を上げながら階段を上り下りしました。
まあ、カポエイラをしにブラジルに行っているわけなので、そのくらいやって当たり前なのですが。
日本ではなかなか体験できない事なので、今ではとても良かったと思います。




■気候・健康管理について■
日本とは季節が反対になるので、10月のブラジルは「初夏」です。
「初夏」と言っても、晴れている日の気温は40度くらいになります。
日差しもかなり強いので、焼けたくない人は日焼け止めが必需品です。

常に晴天かと思いきや実際はそうでもなく、滞在期間中の4割くらいは雨が降っていました。
雨が降ると気温がかなり下がり、半袖では寒いくらいです。
日本から着ていった長袖のパーカーが大活躍しました。
また、雨が降ると洗濯物が全く乾かなくなるので、メッシュやナイロン系の道着は必需品です。綿100%だと乾くのが遅いです。
毎日レッスンがあるので道着が乾かないと使い物にならず、結果的に毎日ナイロン系のタンクトップばかり着ていました。
(アドバイスをくれたアフーダさん、道着を貸してくれたタイーニャさん、本当にありがとうございました!)

食事は毎日、朝・昼・夜ほぼ全てメストレのお宅で御馳走になりました。
味付けの濃さに最初はなかなか慣れなかったのですが、1週間ほどで慣れ、最後の方は何の違和感もなく普通に食べていました。
フェイジョアーダや肉料理が中心で、毎回カントーラさんやお手伝いのダイアナ、カタリーナが作ってくれていたのですが、どの料理も本当においしかったです。

滞在中は特に大きな怪我・病気などはなかったのですが、終盤の方で一度、おそらく疲労と生理不順による原因でダウンしてしまいました。
あと、アカデミーアに設置してあったタンクの飲料水を飲んで、「それ水道水だよ」と誰かから聞いた後でお腹を壊しました。
水を飲む時は、必ずミネラルウォーターを飲んだ方が安全です。



■バチザドについて■
ブラジル本部のバチザドに初めて参加させていただきました。
会場は街の劇場で、ホーダは劇場の舞台の上で行われました。
進行は日本のものとそれほど変わったところはなく、先生方のホーダ、帯ごとのホーダ、子供のホーダ、オープンのホーダと進み、間に子供たちのマクレレ、サンバ・ヂ・ホーダの披露がありました。

この頃にはメストレ・デシオの容態もだいぶ良くなっており、(本当は止められていたのですが)ホーダで何曲か歌う事も出来ていました。バチザドには、世界的に有名な他団体のメストレも来られており、メストレ達のホーダは激しくアクロバティックなものではありませんでしたが、やはりそこに流れる空気にはかなりの緊張感があり、普段滅多に見る事の出来ない「本場のカポエイラ」を全身で感じる事ができました。

また、昇段した子供たちはどの子も本当に嬉しそうで、特に今年緑帯や黄先緑帯に昇段した経験の長い子供たちはみんな自信に満ちあふれており、本当にこの先の時代を担っていく有望なカポエイリスタ達なんだ、という事を感じさせました。

バチザドの後とその次の日は、日本でもやっているフェスタ(打ち上げパーティ)が行われました。
街の野外パーティ会場のような所で夜通しシュラスコパーティです。
全員でずっと食べて飲んで踊り通しで、楽しい時間を過ごしました。
(さすがにこれを2日間連続は、体力的にキツかったですが・・)



■言葉について■
ポルトガル語は、私自身、ほとんど喋れない状態で行きました。
(本当に簡単な単語と、挨拶程度の語学力です。)
幸い、今回は侍先生とNさんとの同行だったので、言葉がわからない時はいろいろと助けていただきました。
みなさんゆっくり喋ってくれたり、簡単な単語を使ってくれたりしていろいろと気遣ってくださったので、辞書や会話集を片手に、なんとかコミュニケーションを取る事ができました。分からない言葉が出てきたら忘れずにメモしておいて、後で辞書で調べたりなどしていたので、後半の方では比較的スムーズに会話も出来るようになっていたと思います。
日本に帰ってきてからは、ほとんどポルトガル語を使うこともないので、せっかく覚えた単語もどんどん出て行ってしまっている残念な状況です。語学を上達させるには、やはりひたすら会話するしか道はないと痛感しました。



■現地のカポエイラについて■
今回はメストレ・デシオの怪我という特殊な状況下での滞在だったため、前述したように、レッスンは全て他の先生方の代行レッスンでした。大人クラスの参加者はそれほど多くなく、ほぼ全ての方が指導者以上の帯でした。内容は日本の上級者レッスンと同じような感じです。レッスン内でホーダをすることはなく、ホーダがある日は子供達も混じってレッスンとは別にホーダを行います。一度、野外のフットサル場でホーダを行ったりもしました。

子供クラスは、幼児から中学生ぐらいまで、様々な年齢の子供が参加していました。
こちらは大人クラスに比べて人数が多く、中学生以上の経験の長い先輩が、小さい子たちの面倒を良く見てあげていました。
男の子も女の子もみんな上手なのですが、やはり男の子たちのアクロバティックな身体能力は凄まじかったです。
レッスンがなくても、学校が終わったらアカデミーアに集まって練習をして、みんなどんどん技を磨いています。
メストレは、子供たちが間違った道に進まないよう、カポエイラを「教育」の一貫として指導されているようです。
カポエイラをしているときの、子供たちの輝いた表情が本当に印象的でした。

■滞在を終えて■
今回、初めてのブラジル渡航だったのですが、言葉や生活習慣など、ある程度なんとなく知っていた部分もあり、それほど大きなカルチャーショックもなくすんなり生活出来たと思います。
「カポエイラが産まれた土地に滞在し、毎日カポエイラに触れて生活する。」
という、とても贅沢な時間を過ごす事ができました。
実際は、この滞在で飛躍的にカポエイラが上手くなったとか、言葉が流暢に話せるようになったとか、そういう目に見えた上達はありませんでしたが、メストレ一家と生活を共にし、アカデミーアで現地のみなさんと一緒にカポエイラをする事で、自身のカポエイラに対する考え方―何のためにカポエイラをやっているのか、カポエイラをする事で生活の何がどう変わるのか、この先、カポエイラはどういう道を歩んでいくのか等々、自分の事だけでなく、もっと広い視野で考えることが、少しですが出来るようになったように感じます。

帰国するとき、みんなが「いつ戻ってくるの?」「絶対また帰ってきてね」という温かい言葉をかけてくれて、また私自身も、成長した子供たちの姿を見たいという思いが強くあり、いつか必ずまたブラジルに「戻ろう」と決意しました。


今回の渡航・滞在に際し、いろいろと助けてくださった全ての方に感謝いたします。
自分もこの経験を活かし、次にブラジルへ向かう人に対して何か少しでもお手伝いができればと思います。
ありがとうございました。

2008年12月30日 Hさん(Virtuosa)



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